アーモンドは砕けない
メイン著者 十六夜ルナ、ヘル
補助著者 緋色唯
アイデア担当 緋色唯
構成編集 十六夜ルナ、ヘル
スペシャルサンクス 木納鏡人



 一陣の風が出会いを運んでくれた。
「本当にありがとうございます」
 若い女性は穏やかに答えて、ズボンをびしょ濡れにした青年から麦わら帽子を受け取った。水に浮いたそれを掴もうとした手が少しばかり届かないのを、彼の能力で補ったのは秘密である。
「いえ、大丈夫です、大したことはしてませんよ」
 言って青年は小さく笑った。が、女性は大きく首を横に振った。
「とんでもないです。―― 水に入ってまでとってくれるなんて申し訳ありません。ど、どうしましょう」
 慌てる女性に青年は大丈夫ですともう一度繰り返したのだが、彼女は何を思いついたのか、手のひらをポンッと突いた。
「乾くまで私のうちでゆっくりお茶でもしていきませんか? あ、なんでしたら食事も」
 今度は彼が驚いた。水に落ちた帽子を取っただけで家に呼ばれる、大げさな対応である。
「いや、そんな大げさです。天気も晴れていますし、すぐに乾きますから、心配いりませんよ」
「駄目です! 落としたのは私なんですから! お礼ぐらいさせてください」
 彼女の強い勧めにも断ろうとした青年であったが、正直な腹の虫に従ったのは、隣にいた少女だった。
「いいじゃん。お腹減ったよ! ここ最近パンばっかりじゃんか! いいじゃん、いいじゃん!」
 口を尖らせて青年に食って掛かる姿に、女性は微笑んだ。
「ふふ、元気な子ね。じゃあ決まりですね。あ、そんなに遠くないから大丈夫ですよ」
 満面の笑みで歩く彼女に、スタスタと付いていく少女。仕方ない、と苦笑いをして青年も歩き出したのだった。



「準備するので、少し待っていてくださいね。あ、風邪ひくといけないので先にシャワー使ってください。着替えはジャージがありますのでそれで」
 散らかっているともいえない僅かな散らかりを手際良く片し、引出から黒いジャージを出してくる。
「え、大丈夫なんですか」
「少し小さいかもしれませんけど着れると思います」
 手渡して今度は押し入れから座布団を二枚取り出し、敷いてから彼女は台所に向かう。
「いや、そういう意味じゃなくてですね……」
「いいじゃん。濡れたまま家の中歩き回るわけにもいかないし」
 答えたのはまた一緒にいる少女だった。中学生だろうか、肩にかかった茶髪はとても荒れている。玄関で立ったままの青年とは違い、彼女はもう居間にずかずかと入っていた。
「まあ、そうなんだけどさ」
「じゃあ、早く入ってきなよ」
 はぁ、とため息をついて彼は靴を脱いだ。苦笑いをしてお辞儀する。
「分かったよ。すいません、お言葉に甘えさせていただきます」
 女性は手を振ってから暖かい笑みを浮かべた。
「いえいえ、本当に気にせずくつろいでください」
 それから冷凍庫に振り向いてプラスチックに包まれた食品を取り出した。ラッピンクを破る。
「なにかお手伝いしましょうか」
 尋ねた少女に女性は、今度は満面の笑みで返した。
「大丈夫ですよ。チンするだけなので」
「チン?」
 黄色い光の中で、冷凍食品は回りだした。



「おいしそう!」
 ちゃぶ台の上にはドリアやスパゲティが白い湯気を上げている。見え隠れしている肉と香ばしい香りに少女は瞳を輝かせる。
「まだまだたくさんあるので、遠慮せずにどうぞ」
「いただきまーす!」
 口先だけ言って彼女は熱い料理に食らいつく。それを微笑ましく見守ってから女性は口を開いた。
「そういえば、まだ名前を聞いてませんでしたね。私は篠崎真由美といいます」
「わたひぃは十六夜零永(いざよいれな)といいます」
「食べながらしゃべるなよ。俺は十六夜流永(いざよいるな)です。すいません、着替えから食事まで」
 零永といった少女の頭を小突いてから、青年・流永は小さく頭を下げた。
「いえいえ、私が勝手にお礼したかっただけですので。そういえば、流永さんたちはどこに住んでるんですか」
「えっ……う~ん……」
 彼は困った顔をして誤魔化すように頭を掻く。然し、まだ少女である零永は素直に答えた。
「廃工場があって、そこで暮らしてるんです」
「え? 廃工場?」
 彼はもっと困った顔をする。
「えっと、あのですね……」
 視線を机に落とし、言葉を濁す。真由美は少し自分の言葉を迷いながら尋ねた。
「つまり……家がない、ってこと?」
「まあ……そういうことになりますね」
 苦笑いを一つ浮かべて視線をまた机に戻す。
 う~ん、と少し考えてから、彼女は親水公園の時と同じように、手のひらをポンと突いた。
「それなら、住むところが見つかるまでうちに泊まっていきましょう! この広い家に一人で住んでいるのもなかなかさみしいですし、それに部屋も余ってますし」
 勝手に言って、返事も聞かず、まるで決まったかのように暖かい笑みで台所へと消える。
「え? いえ、それは流石にご迷惑をかけすぎてしまいます! 俺は帽子を拾っただけですよ? そこまでしてもらうわけにはいきません」
 慌てて断る流永だったが、零永はというと、その言葉を、やはり、素直に受け入れた。
「えー、せっかく泊めてくれるんだからいいじゃん。ね?」
「ええ。遠慮なさらないでください」
 新しい料理――冷凍食品だが――を台所から運びながら、暖かい笑みで相槌を打つ。
「…………はぁ、しょうがないか」
「やっほーい」
 しぶしぶながらも同意すると、零永が歓喜の声を上げる。真由美もうんうんと頷く。
 一陣の風が出会いを運んでくれた。
 それは振り回されることから始まった関係だった。

 

「流永さんは普段何をしているんですか」
 学生にとって夏休みの開ける日、新しい家に住み始めてから三日目、真由美は黒いスーツ姿で朝食の用意をしながら唐突に尋ねた。
「仕事してますよ。フリーターですけど。まあ仕事があるだけでありがたいですね」
「え、でも住所ないんじゃ」
 不思議そうに尋ね返すと、流永は語調を少しだけ強めた。
「そんなものどうとでもなります。まあ詳しくは聞かないでください」
「分かりました。私帰ってくるのが遅いので、夕食はどうします? 零永ちゃんは一緒に食べたいって言ってましたけど」
「それなら一緒にいただきましょう。何時くらいになるのですか」
 語調は元に戻る。
 真由美は時計を見てから視線だけ天井へ移し、言いながらフライパンから卵焼きとソーセージを皿に乗せた。
「仕事が終わってからなのでー、十時くらいかな」
「じゃあ、それぐらいに帰れるようにします」
 微笑んでから、彼女は視線を寝室に移した。
「零永ちゃんは?」
「あいつならそこらへんうろうろしてますよ。学校もいってないから暇だと思います。自分なりに遊びを見つけてるんじゃないですか」
「なるほど。でも学校にいかないのはまずいんじゃないですか。やっぱり義務教育は受けないと」
 一つ結びの黒髪は忙しく揺れる。流永は彼女の勧めを丁重に断った。
「一応、最低限の勉強は教えています。今のところは不自由なく暮らしてますよ。それに家庭訪問とかありますし面倒じゃないですか。」
「それもそうですね。でも、これからはこの家に住むんですから中学校にも通えますね」
「本気で言ってますか。住民票の登録とかいろいろ手続きがあるのでそんなに簡単にはいきませんよ。たとえ通えたとしても零永がそれを望んでいるかどうかわかりません」
 流永は又少しだけ語調を強めた。真由美はその声を受けて、台詞を下ろす。
「ちゃんと考えてるんですね」
「まあ、それなりには」
 言って今日もソーセージをかじる。昨日とも一昨日とも変わらない朝食。ここに住んで三日、分からないことが殆どだが、一つだけ確かなことを見つけた。そう、真由美は卵焼きとソーセージ以外の全ての料理が苦手なのである。
 明日も変わらない朝食だろう、そう思いながら流永はソーセージの残り半分を口に放り込んだ。



「零永ちゃんは、いつもどこに行ってるのかしら」
 珍しく休みであった平日を使って、真由美は零永のあとを付いていくことにした。学校などには行っていないのに、仕事から帰ってくるとき、いつも少女は家にいなかった。
「ずいぶん歩いたけど、ここどこかしら。街はずれの森みたいだけど……」
零永はどんどん森の奥に進んでいく。しばらくすると洞窟のようなものが見えてきた。灯りはあるようだが、整備されたようなあとはない。零永はその洞窟に入っていく。真由美も距離をあけてあとを付けていく。洞窟の入り口に立った瞬間、強烈な冷気を真由美は感じた。洞窟の中は夏でも涼しいというが、これはその比ではない。
「なにこれ、う~さっむ。ここだけ冬みたい。いや、それ以上かも」
しかし、零永は何事もないように進んでいく。
「あんなに薄着で寒くないのかしら。それとも寒さに強い子なの?」
そんなことを思いながら真由美も進んでいく。周りはいつしか冷凍庫の中のような温度になっていた。洞窟の天井からは氷柱が垂れている。まもなく、開けた場所に出た。一面の氷だ。天井から壁、床まで、すべて氷で覆われている。その中央に零永は立っていた。
「なにをしているの?」
真由美は寒さに耐えながら零永の様子を隠れ見ていた。零永はじっと立ったまま動かない。しばらくしたのち、零永がおもむろに地面に手を付いた。その瞬間、地面から何かが伸びてきた。透明な何かが。
「氷の……花?」
それは氷でできた巨大な花だった。
「うん、今日もいい出来。我ながら惚れ惚れするねー」
零永はうんうんと満足げにうなずいた。複雑な形でも自分の思い描いた通りにアウトプットできるようになってきた。
「これも日々の努力の賜物ってもんよ。もうちょっと何か作っていこうかなー」
零永は再び意識を集中し始めた。



 真由美は自分が見た光景をいまだに信じられなかった。あんなに大きな氷のオブジェクトが一瞬で生えてきたのだ。手品やトリックというには無理がある。
「確かに寒かったけど、流石に女の子一人であんなもの作れないよね? いや、綺麗だったけど」
 真由美はもと来た道を帰りながら、思考をめぐらしていた。しかし、超常現象のようなものを目の当たりにしたのだ。思考が追いつくはずもなかった。
「今度の休日にでも改めて聞いてみよう。考えていても仕方ないしね」
 そう考えながら、いつもの街並みに戻ってきたのだった。



「流永さん、あの、何か、隠していることとかありませんか?」
 その週末。零永は小遣いを貰って外へ遊びに出ていた。
「え? どうしてですか?」
 唐突に言われて彼は真由美が何を言っているのか分からなかった。彼女は少し戸惑いつつも言葉を続ける。
「私、実は見てしまったんですよ。零永ちゃんが洞窟に入っていくのを。その中で氷の花をつくっているのを」
「………………」
 途端、青年の表情は曇る。口を一文字に結び、彼女の顔をじっと見つめる。
「正直、何が起きたか分からないんですが、零永ちゃんが何かしたんですよね? どうなんですか」
 青年はどう言うべきかしばらく悩んでから、意を決したのか息を一つ吐いてから、重い口をゆっくりと開いた。
「……お世話になってる以上、いつかは話そうと思っていました。隠すつもりはなかったのですが」
「じゃあ、零永ちゃんには不思議な力がある、と」
 ゆっくり頷く。
「そうですね。ついでにいうと俺もですが。でも、これだけは言わせてください。俺も零永も変な力があること以外はごくごく普通の人間なんです」
 真由美は少し驚いてから優しく微笑んだ。
「ええ、それはもちろん分かってます。今まで一緒に生活してみて、私が一番分かっていると思います」
「同じ人間のようでも非現実的なチカラを持っているというだけで気持ち悪いと思う人もいます。それは当たり前といえば当たり前の反応でしょう」
 彼女は強く首と手を振る。
「とんでもないです。ちょっとした能力があるだけじゃないですか。手品師と同じですよ」
 どうも彼女はいつも何か答えの方向が違う気がするのだが、否定されなかったことに流永はとにかく安堵した。



 それからは、お互いに能力について触れることはなかった。流永たちも能力を発現させることはしなかったし、真由美も詳しく聞き出すことはしなかった。再び訪れる普通の日常である。そう、卵焼きとソーセージの朝食から始まる普通の日常。
「いや、たまには違うメニューにしません?」
 ソーセージを飲み込んで流永が言った。零永はまだ寝ているのだろうか。食卓には二人である。
「いいじゃないですか。楽だし、おいしいし」
 真由美は今までも、そしてこれからもこのメニューでいくらしい。流石の流永も毎朝同じメニューはつらいらしく、真由美にある提案をした。
「明日は俺が作っていいですか? 卵焼きとソーセージ以外にしますよ」
「私の料理じゃ不満ってことですか」
 少し怒ったように真由美が返す。
「そういうわけじゃ……。でもここに来てから毎朝同じメニューですよ。野菜もないですし」
 慌てて流永が訂正する。
「料理できるんですか?」
 真由美が尋ねる。ここに来る前は廃工場で暮らしていたのだ。当然、料理の経験はないと考えるだろう。
「一応、簡単なものは。それに居候してる身なのに朝食も作らないのは人としてどうかと」
 なんで廃工場で料理ができるのかとかそんなことが頭をよぎったが、真由美は詮索しないことにした。今さら何が出てきてももう驚かないだろう。
「そんなこと気にしなくてもいいですよ」
 真由美は食べ終わった食器を流しに運びながらそう言った。
「俺が気にするんです!」
 すかさず流永が返す。
「分かりました分かりました。明日の朝、楽しみにしてますね!」
 真由美が同じように少し強く答える。
「別に今から楽しみにしなくても」
 流永も食器を流しに運びながら、少し呆れたような口調で言う。
「ふふふ」
 真由美は思わず笑い声を漏らす。
(だんだんこの人の性格が分かってきた気がする)
 真由美は心の中でそう呟いた。
心暖かいいつも通りの日常は穏やかに過ぎていった。



  仕事という名のバイト帰り、いつもの様に家の鍵を開けて家に入り、荷物を置いて郵便箱の中身を持ち込み……。
 ちゃぶ台に広がった数々の封筒の中で、流永は思わず一通の封筒に目が止まった。

「       十六夜 流永 様         」

(俺……当て?)
 ゆっくりと開けば、一枚の便箋が躍り出る。そこには簡潔な内容が、言葉短く書かれていた。

〝明後日午後七時町北の山頂へと続く林道の分岐点で待っている〟

 過去にいた組織も潰したのだから、心当たりの相手はいない。だが、大よその目的は分かる。
 そして便箋の最後にはご丁寧に注意書きがあった。

〝来なければ一緒に住んでいる女は保障出来ない〟

 その意味するところを理解して、流永は家で寝転がっていた零永に耳打ちをする。少女はきょとんとして、ただ明日の夕方前に家を出ることだけを理解した。
 それからの二日間は、異様な静寂の夜が続いた。そう、まるで、嵐の前の静けさであった。



 右手に広がる人無しのゴルフ場を眺めながら、タクシーに揺られる。更に三十分ほどしてタクシーは細い林道前で止まった。土の道を上ること十五分して、Y字の分かれ道が二人の前に現れた。
 左から赤い陽光が刺す中、男女両名が木陰から姿を現す。
「どうも、初めまして」
 満面の笑みを浮かべる金髪の美女。そして何も語らない灰色髪の中年。
「俺達に何のようだ」
 流永は硬い表情のまま。声にもいつもの暖かさは無い。目は鋭く瞬くも忘れてしまうような形相で二人を見つめている。
「自分がどういう存在か分かってるでしょ? そういうこと」
 美女はもう一度満面の笑みを浮かべる。綺麗なその笑顔は、然し、氷のような冷たさを含んでいた。そして彼女の手は自身の腰へと伸びる。瞬間、流永は能力を発動させた。彼と零永が五十メートル前方――金髪の美女から見て五十メートル後方――に飛ぶ。
「零永、敵だ!」
「えっ、そうなの? なんで?」
「説明してる暇は無い! とにかく、来るぞ!」
 言いつつも振り返り、その間に二丁の愛銃を両手に転送、その一方を正面に構え、もう一方は銃身である剣の側面を身に沿わせて、盾代わりにする。
「――!?」
 だが、そこには中年一人しかいなかった。その男はゆっくり振り返り、彼等に向かって歩いてくる。零永はというと、話についていけないながらも、氷の剣、―鎧を作り出す。
 流永は躊躇わない。敵と分かった以上、排除するのが自分達の平和に一番である。故に引き金を引いた、はずだった。
 右手の銃は宙を舞っていた。目の前にはアーミーナイフ、笑みの抜けたその表情と瞳は暗殺者のそれ。金髪はまだ肩に落ちていないのに、ナイフは次の動きに移る。半円を描いて狙うは首、それは空を滑るように流永へ迫る。
 だが、青年は下から襲い掛かる右手を見逃さなかった。身をかがめてナイフを避け、身を守っていた左手の銃を九十度回しつつ、軌道に刃をまわすと、右手は直前でピタリと止まった。
 彼等は再び飛んだ、だが今度は二方向、零永は前に流永は後ろに。そして今度は見逃さなかった、金髪が残像を伴って高速で左の方へ消えていったことを。
 後ろを向いて座標を測り空間移動を繰り返す。ひたすらに逃げる、遠くへ、遠くへ、もっと遠くへ。

 「 自分がどういう存在か分かってるでしょ? 」

 流永はその一言を理解していた。先ほどの攻撃でもナイフか右手、そのいずれかが当たれば良いのでは無い。そう、ナイフは鼻から囮だった。
 零永の能力が氷ならば、流永の能力は空間である。座標さえわかればどれだけ長距離でも瞬時に移動したり物を動かしたりできる。彼にかかれば、核を世界中に落とすことさえ造作の無いことなのである。然しだからこそに裏に生きる者達は彼の能力を欲するのだ。
「さて、どうするか……」
 座標計算と策を同時に寝るのは至難だった。だから彼は進み続けた。そして遂にたどり着く。
 目の前には芝生が広がる。そう、ここは、車で向かう間に見つけたゴルフ場、周りには僅かばかりの木、その横を突き進む黄色い閃光を見つけた。
「あなたがいきなり逃げるから自己紹介も出来なかったじゃない」
 美女は止まって語りかけた。左手で腰から二本目のアーミーナイフを引き抜く。そしてまた見つめる、あの満面の笑みで。
「私は雨唯(うい「)、国際テロ組織〝死の舞踏会―デス・ロンド―〟の一員。それじゃあ……楽しい殺し合い、始めましょう」



 零永の思考は全く追いついていなかった。知らない人から手紙を送られ、知らない森に行き、知らない二人に会い、知らない理由で流永が逃げ出し…………。ただ分かっていることは一つだけあった、あの二人は敵だということ。だから。
「あなたが誰かは分かりませんが、倒します」
「……」
 鋭い氷の剣を振り下ろす。少女とは思えないような剣さばき、だが男は半身を逸らすことで容易に避ける。二撃目も三撃目も、同じ身のこなし。
「御嬢さんと戦う気は無いんだが…… だが、まぁ良い太刀筋だ。少し力試しをしようか」
 男は不意に背中から黒い棒状のものを取り出した。
(ふざけているの?)
 男はポッキーを取り出したのである。違うのは、サイズが日本刀程の大きさであることだ。
「嬢ちゃん、かかっておいで」
「ふざけないで」
 そう叫びながら斬撃を繰り出した。
 ガッガッ。ポッキーと氷剣が触れ合うたびに鈍い音がする。
 彼は防戦一方、ひたすら斬撃を受け止めていた。
「やるなぁ、嬢ちゃん。チョコが剥げてきた」
 ポッキーのチョコが剥げていく。弱弱しくなっていく。
「そんなひ弱な武器。もう一太刀で折れてしまうよ!」
「確かに。じゃあ、特別サービスだ」
男はポッキーを投げ捨て、不意にトッポを取り出した。
一回り太く、大きくなったそれを両手で構えた。
「そんなお菓子ばっかりで。大氷剣!」
零永は氷剣を二回り大きくした。それを軽々振り上げ、向かっていく。ガンッガンッ。鈍い音が響く。男は攻撃を受けるだけ。
次の瞬間、氷の剣は根元からバキっと折れた。
「その点トッポはすごいよなぁぁぁぁぁぁ!最後までチョコたっぷりだ。甘い甘い」
たった一撃で自身の最強の武器を砕かれた腕はその衝撃にしびれ、感覚が弱い。
捨てられたトッポが重い音を立てて木の葉を巻き上げる。唖然とする零永の前で男は悠然とたたずんでいた。
 両手はポケットに突っ込んだまま。眼鏡の奥の瞳は苦笑いである。
「逃げるしかない…敵わない」
だが、零永が去ろうとすると、弾丸のようなものが氷の鎧を削った。思わず足を止め、振り返れば左手がポケットから出ている。
「大丈夫、殺す気はないよ。でもね、あちらの戦いの邪魔をさせるわけにもいかないんだ。だから、おとなしく待っててね」
「なら……なら! 戦うしかないじゃない! 流永を助けなきゃ!」
 再び剣を生成。盾を構えつつ男に突き進む。そして肉薄すると、剣を突き出した。男が少女の攻撃に合わせて後ろに跳躍すると、剣は新たに作られた氷によって長さを急速に伸ばしていく。だが、その剣先は黒の丸い盾に阻まれた。
「ファミコン色の大盾オレオを壊せないだろ? そういうわけで勝てないのだから足掻かない方が得だ、疲れるだけだぞ。それに、あまり私を怒らせない方がいい」
 少女は怖気づいた。最後の一言、それに殺気とも言えるような圧力を感じたからだった。
(とりあえず距離をとらないと……)
 思って尖らしたつららを打ちだし牽制。そして一歩一歩少しずつ距離を離す。
「接近戦の方が向いてるよ君は」
 男は手をポケットから出し、手先を少女に向けた。
「チョコショット」 
彼の打ちだす弾丸。チョコである。
「たかがチョコの弾丸じゃない」
零永は弾丸に対して、氷弾を撃ち返した。ガッ。チョコは容易に削れ砕ける。だが直後、破砕したのは氷弾だった。
「人間は上辺しか見ない。だから戦争をする。何でも一番であればいいと思っている。チョコしかないと思っている。でも、本当に大切なのは何か、真実を見なくてはな。チョコの中身を考えなくてはな」
「中にアーモンド!? 固い!!」
 種は少女の分厚い盾をえぐり取って鎧の半ばで漸く止まった。盾がなければ即死だっただろう。あまりの強さに言葉を失った彼女は自らの装備を修復することすら忘れた。
「教えてあげるよ、嬢ちゃん。この私、佐藤糖也の能力は、この世のお菓子の、本当の強さを引き出すことさ。それじゃあ、もう少し相手してもらおうか。甘いね甘いね」
 再びどこからともなく巨大なポッキーを二本取り出し、一振り、彼はさっとそれを両手に構えた。



 銃声が幾たび幾たび草原に広がり、閃光が幾本もの軌跡を作る。だが、どちらも他方に満足な傷を負わせることは未だ出来ていない。
「そろそろ観念したらどう?」
 高速かつ不規則な動きによって銃の照準を狂わせ、直撃を免れつつ迫る。
「それは俺の台詞だ」
 ナイフを刀身で防ぎ、座標計算を終えた新たな場所へ飛び退さることで二撃目をかわし、引き金を引く。
「お互いが決定打を持っていない、なんて誤解、してる?」
 言葉を終えた瞬間、満面の笑みは殺し屋へ。
「分かったよ、君は少し時間をかけないと転送が出来ないようだね。なら、話は速いさ」
 右手には白い稲妻が走り、その光は増していく。直視するに厳しいほどになった時――

 ザァーン!!

 銃声にも負けない程の音が空をつんざく。と同時か僅かに早くか、純白の大蛇は青年目がけて宙をうねった。
 座標計算の隙さえ与えない雷を、彼は、然し咄嗟に銃を投げていたことで、そこへと導いた。
「かかったね」
 言う美女は、既に地を蹴っていた。銃は未だ地に落ちず。左手の雷をまとったナイフが流永に迫りつつある頃、銃身はようやく草を踏んだ。
 然し、銀色の軌跡は空を切った。鳴り響いたのは銃声。右手には銃剣。その口からは煙。そして宙を舞ったのは――――真紅の鮮血。
「なっ――」
 雨唯は銃弾の衝撃に吹き飛ばされ、地に伏した。肩には鋭い風穴が開き、幾本もの赤い筋が流れ出ている。
「そっちも俺の使える銃が一本しかないって誤解、していない?」
 先ほど落ちた銃も彼の手に戻る。両方からマガジンを捨てて新たなものをはめ直し横転、両方を横倒しのクロスに構えて引き金を半押しにする。金髪は地についたまま。赤い水たまりは広がっていく。
「さて、そろそろ終わらせ……」
「流永~~、何してるの~?」
「――――!?」
 声に驚いて左を振り向くと、遠くの木陰に、一つ結びの彼女はいた。
「なんでこんなとこ……しまった!」
 ハッとして視線を戻すとそこにもう雨唯はいなかった。代わりに左へと進む閃光を垣間見る。それは疑うまでも無く、篠崎真由美を狙っていた。



「はははは、貴様をリッツクラッカーに挟んでやろう!所詮貴様は私を引き立てる具材よ。挟まれ、戦いに華を添えろ」
 投げられた七つ穴のビスケットは、零永の左右で巨大化し、猛スピードで合わさっていく。
 彼女は足元に氷を高速で作り上げる。その氷柱に乗って少女は上へと突き上がる。
 足の僅か下で二つの板は閉じられた。頑丈な氷がやすやすと砕け散る。足場を失って落下を始めるが、零永はすぐ下にあるそのクラッカーを強く蹴った。飛んでいる間に自らを大きな氷の球体に取り込む。そしてそれは次第に鋭い棘を幾本も生やした。針を突き出した球体は糖也へと突き進む。
 然し、次に聞こえたのは、肉をすりつぶし骨を砕く音ではなく、硬く重い音にぶつかった音。土煙の晴れたそこに姿を現したのは、焦げ茶の板を連ねたようなドーム。その一枚一枚には何かの絵が刻まれている。
「これが鉄壁の要塞アル・フォートレスだ。嬢ちゃん、アルフォートは食べたことがあるかい? アルフォートのチョコとビスケットの間はね、簡単に分断されるけれども、二つは硬い絆で結びついている。そう、本当は亜空間が存在するんだ。それを突破できるものなんて本当は何一つないんだよ」
 姿は依然、ドームの中。故に零永はこの隙に乗じて逃げようとした、だが直後背中に固いものが当たる。振り返ればそれは巨大なビスケットだった。前に視線を戻せばそこにもビスケット。右にも左にも上にも。
「は~~はっはっはっは、アル・フォートレスが守るだけの技だといつから錯覚していたぁぁぁ! さてお嬢ちゃん少しばかり話し合いをしようか」
「今更話すことなんて何もない!」
「まあまあそうかっかしない」
 荒い口調の零永をなだめる。両者は互いのドームに入ったままである。
「嬢ちゃんはなんでそんなに頑張るんだい?」
「そういうおじさんはなんでよ!」
 かみつくような勢いで彼に尋ねる。怖い怖い、と口先で言って一拍置き、糖也は続けた。
「質問返しとはやるね~。まあおじさんは世界の平和のためさ。いつだって世界はいがみ合っている。でもね、甘いお菓子で満たされた世界は、甘くて優しい平和な世界だ。それを目指しておじさんはがんばっているんだよ」
 楽しそうに語るその声は、真由美と同じ暖かさのあるその声は、先ほど戦っていた相手とは思えない。夢に心を膨らまして遠くを見つめる、そんな姿が見ずとも読み取れてしまうような口調だった。
「ならなんでテロ組織になんか入っているの?」
「そりゃあ、国家っていうものがいつも一番を取りたがるからだよ。でも一番をとれるのはいつだって一つの国だけさ。だから国々は争い合うんだ。そんな世界、平和って言えるわけないさ。人間だってそうさ、いつも一番を競い合う、そういうことをするから、平和は訪れないんだよ。一番になる人がいるから、みんな争い合うんだよ」
 零永は心底驚いた。化け物じみた能力を持った人が、真由美と同じ暖かい心を持っている、それは彼女の能力者に対するイメージを一変させた。然し、少女は一つの誤りを見つけた。少女は、正直な心で、それを言った。
「でも一つだけ、一番になっていいものがあるよ」
「そんなものは無い! 何を言い出すんだ! みんな一番になるから、なりたがるから!」
 糖也は怒鳴った。彼の過去は分からない。ただ彼女はその声から悲しい音色を聞き取った。だからこそ、彼女は言葉を続けた。
「あるよ! 世界で一番になっていいものあるよ! おじさんみたいに優しい人!」
「っ――――」
「それなのにテロ組織にいるなんておかしいよ! 世界で一番優しい人になってよ! 世界で一番暖かい人になってよ!」
 沈黙が辺りを包む。彼は言葉を失った。
 少女の言葉は正しかったのだ。長年彼が否定し続けてきた一番は、ときに世界を暖めるのだ。
 暫くしてから、ふっ、という小さく笑いと共に、要塞は消えた。
「面白いことを言うね。でも、始まった戦いは終わらせないと」
巨大なポッキーを空に突き出す。言動と行動に零永は身構える。
「雲の動きが急な時は、不吉だよねぇ。甘いね甘いね」 男は言った。
「まずは一つ目、悪の抱擁ワタパチ・クラウド!」
 言葉に合わせて瞬間的に黒雲が広がっていく。月の光は阻まれ、森は漆黒に沈む。
「そして二つ目、悪の発露・黒雷ブラックサンダー!!」
 空を黒い筋が駆ける。鳴り響いた音は、白いそれよりも遥かに重く、遥かに大きく。
零永は咄嗟に氷の屋根で自身を覆った。雷を分散させる。だが男は不敵な笑みを浮かべていた。
「読んでいるよ、それぐらいは。甘いね甘いね」
パチ・パチ・パチ・パチ。その音とともに衝撃波が走った。氷の屋根が崩れる。彼女は氷の下で下敷きになった。
「La無音(ラムネ)の餌食になったね。そんなかわいそうな君に、これをあげよう。みんな大好きパイン飴だよ」
もうろうとする彼女は、昔、流永からパイン飴をもらった時のことを思い出した。敵の攻撃を、罠を、もしかすると施しを、その思い出とシンクロさせてしまった。
「破in飴(パイン飴)!」男は言った。バチバチ。騒音が響き、伝染していった。森林の闇全てに鋭い光が突き刺さり、核のごとき巨大な爆発は少女を呑み込んだ。



「武器を捨てな」
 雨唯は真由美の首に当てたナイフをきらりと光らせる。
 目下のナイフを見てごくりと唾を飲む。頬には冷や汗が一筋。
「俺達はちゃんと来たんだから彼女は保障されるべきだ!」
 不敵な笑みを浮かべて美女は言う。
「殺し屋を舐めすぎじゃない? 自分の最も有利の状態に運ぶ、それを怠るほど私は甘くないよ。さあ銃を捨てろ、早く!」
「そっちこそナイフを捨てろ! 銃口を向けられているんだぞ!」
「打てないことは知ってるんだよ!」
 流永は悔しそうに唇を噛んだ。銃は構えたままだが、引き金を引くことは出来ない。万が一ずれた場合、又撃つ瞬間に二人の位置が動いた場合、弾丸は容赦無く真由美を貫く。
 かと言って空間移動も相手に対しては使えない。理由は簡単。寸分動けば飛ぶ人が変わってしまう。だからこそ膠着は続いていた。
 一分足らずして、流永は観念したように銃を下ろす。
「早く捨てろ!」
 力無く両手を離すと、銃は引力に従う。
 それが地に付く前に、雨唯は動き出した。両手にはいつものナイフ。その進む先には、然し、既に二丁共々流永はいなかった。
 現れたのは真由美の隣。銃弾では無く、その刀身で雨唯の背中を狙った。
「!?」
 はずだった。だが、予想した位置に金髪は無かった。靡く髪は青年の後ろにいた。雨唯は突き進んでいなかったのだ、流永の行動を読んでいたのだ。
「終わりだあああ!」
 振り向きざま左手の銃剣で防ごうとするが、下から容易に弾かれる。そして残るもう一方のナイフは……。
 肉を貫く鈍い音。赤い鮮血が宙に噴き上げた。



「甘いね甘いね」
 零永は生きていることを不思議に思った。想像を絶する爆発のそのど真ん中にいながら、傷一つ無かったのだ。代わりにのしかかっていた氷塊は全て消え失せている。
「甘いね甘いね、私も甘いね」
 両手はポケットに突っ込んだまま。眼鏡の奥の瞳は苦笑いである。
「もっと非情にならなければ殺し屋は務まらないと雨唯にさんざん言われたが、ごもっともだな」
 人差し指と中指で挟み、口にくわえてから離してふぅーとらしそうに息を吐いたが、指の間にあるのはタバコチョコ。
 もう一度長い息を吐いてから、糖也は歩き出した。
「戦いはおしまいだ。私は消えるとするよ。嬢ちゃんはこの戦いで随分成長したがまだまだ不十分だ。世界平和のためには時に力も必要だ、演説途中で殺されたら元も子も無いからね」
 パチンと指を鳴らせば、黄色と焦げ茶の薄い隕石が数百個、轟音と共に地を殴る。
「甘い星屑の精製コーンフレーク・スターダストだ。安心しな、ココア味もちゃんとある。これぐらいは強くならないとな。君の手足をもぎもぎフルーツ、という技も持っているが、さすがに見せるなら嬢ちゃんを傷つけちゃうから今回は止めとくよ。さて、それじゃあお先に、おじさんは失礼するよ。溶ける口づけメルティーキス」
 無数クレーターの間で横になったままの零永は、ボーッと空を見上げた。満月の光が眩しい。
「平和……かぁ」
 静かに立ち去った中年の背中は、とても大きく感じた。



 腹部への一撃で口元から赤い筋を作ったのは、真由美だった。
 僅か後に右手の銃剣は雨唯を貫いた。血を噴き出して倒れる。
 流永は銃を捨て、崩れ逝く女性を手に受け止めた。
「あはは……私……かっこ……悪いね」
「やめろ、喋るな!」
 声は消えて仕舞いそうなほど、弱弱しい。
「助けに……来たのに……」
「なんで……なんでここにいるんだよ!!」
「そりゃ……心配……だったから……無茶して……るのか……なって……またわた……しに……隠し事……かな……って……」
 その声はもう糸よりも細く、今にも闇に飲み込まれそうなほど。
 流永の頬に二本の筋が通る。真由美は震える指でそれを拭き取ってから、ゆっくりと、あの、いつもの、暖かい微笑みを浮かべた。
「この……一か月……楽しかったよ……」
 手が落ち、首が横に傾く。眠ったように閉じた瞳は、もう二度と開かない。
 満月が光る森林に、狼の哀しい鳴き声が木霊した。

 一陣の風が出会いを運んでくれた。
 振り回されることから始まった関係。
 それはやがて代えがたい暖かな日々へ。
 然し、そういう日常は瞬く間に過ぎ去る。
 二人は又、地を這う様な生活へと舞い戻る。
 次の風が吹くのは何時なのか、誰も知らない。


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