クレイジー班

終わった。終わってしまった。人はあまりに弱く儚く、こんな小さな金属の塊一つで死んでしまう。もう銃などという軽すぎる武器はやめてしまおうか。
「見つけたぞ、連続殺人鬼」
背後からかけられた男の声に、振り返る。またか。いささか手口が荒っぽいため、見つかることはしばしばあるが、その後にやることは毎回一つだ。
目撃者には、死を。
簡単に引ける引き金。反動一つで人は殺せる。サイレンサーで消される銃声。目の前で地面に倒れ伏した男に近づく。
「つまらない」
「……何が、だ」
思いがけないところから声がして驚く。掴まれた足首。その手を蹴り払う。
「俺、銃で撃たれても死なないんだぜ」
強い眼差しが見上げていた。息が止まった。本能の赴くままに走り出す。警報が頭の中で鳴り響いた。異常なほどの動悸。ああ、もしかしてこれは。
「やっと、殺せない人がいた」
恋。

キーンコーンカーンコーン
チャイムが教室に鳴り響いた。
「……」
南二葉は無言で時計を見た。
時刻は十二時四十分。ちょうど四時間目が終わったところだった。
「あと、三時間……」
 二葉が呟いた。
 あと三時間で放課後になる。そうすればまたあの人に会える。
 あの人に出会ったのは三週間前。学校からの帰り道だった。私が普通に横断歩道を渡っていると、いきなり車が突っ込んできた。思わぬ出来事に私は足を止めてしまった。その車を正面から見据えていた。思わずその車を斬ろうとした。その時、誰かが私を抱きしめた。そして、そのまま体ごと歩道へと倒れこんだ。車が、二人の側を通り抜けた。その風で髪が靡く。しばらくして、押し倒したその人が体を起こした。
「大丈夫かい」
 その男は立ち上がり、手を差し出した。骨ばって男らしい、大きな手。私はそれに甘え、その手を支えに立ちあがった。
「……ありがとうございます」
 とりあえず、礼を言った。それから、ようやく自分が危険な状況にあったことに気づいた。
 この人には、迷惑をかけたかもしれないな。
 そう思い謝ろうとしたとき、その男性が話し出した。
「君は、強いね」
 想像もしていなかった言葉に、私は動揺した。この人、私がしようとしていたことを分かっている。戸惑いを隠せない私に向かって彼は、
「じゃあ、オレ仕事だから、もう行くよ」
 と言った。
 彼は道を進んでいった。
「ま、待て」
「えっ」
 男が振り返った。
 ……何で呼び止めたのだろう。分からない。なんでこんなに胸がどきどきするのだろう。分からない。それでも、気が付くと私は自分でも思いがけないことを尋ねていた。
「な、名前は」
「オレ? オレは、宮城鉄鋼。硬そうだろう?」
 ……鉄鋼さんか。よく分からないけれど、いい名前。
「君は?」
 鉄鋼さんが聞いてくれた。それに、おずおずと答える。
「……私は、南二葉……です」
 言葉が徐々に小さくなる。ただ自分の名前を言うだけなのに、なぜか顔が熱くなった。
「二葉君か、覚えておくよ」
 鉄鋼さんは手を挙げ、そのまま去っていく。私はいつまでもその後ろ姿を見送っていた。
 その後も、私はしばしば鉄鋼さんと話した。話すことができた。
 ……だけど、今朝はあいつのせいで、それは叶わなかった。あのわけの分からない男は一体何なのだろう。気安く鉄鋼さんに話しかけているし、何か目つきが怪しい。鉄鋼さんの方も、あの男に困り果てているようだ。……あの男、放っておくわけにはいかない。
鉄鋼さんに迷惑をかける人は、許さない!
「……必ず消す……」
 口に出して呟いた。重苦しい気持ちが心の中いっぱいに広がる。
「二葉さん、食堂行きましょう」
 ふいに、目の前に見知った顔が表れた。驚いて目を見開く。その少女――圭は真顔でそう言って二葉の手を引っ張った。
「……分かったから、引っ張らないでよ」
 それでも圭は手を引っ張り続けた。その手に引かれ、二葉は教室を出たのだった。

 またあいつだ。特徴的な切り口……というより、断ち跡。自分がし後誇示するようなその殺し方は間違いない。そして、わざわざ刑事である鉄鋼が見つける場所で堂々と犯罪を行うこの神経……。
「けーいじさーん」
 すぐ耳元に吐息がかかる。舐めるようなねっとりとした口調で囁かれ、慌てて振り返る。むせ返る濃厚な血の香りが鼻を突いた。触れるような距離に立っている男の左手には、場違い極まりない大きな斧。その斧は、銀の刃が赤く染まって鈍い光を失っていた。
「お前……!!」
 嫌悪感がこみ上げる。恍惚として幸せそうな笑みを浮かべるその顔は、恋する乙女のように紅潮しているのに、瞳は鈍く底知れない、気味の悪い光を帯びている。
「また、逢えたね。逢いたかったよ……どう、今回の作品は?」
 気に入った? と無邪気に尋ねる声は、猫撫で声で、吐き気がする。
「刑事さんに逢えるかと思うと、興奮しすぎて自分で自分を慰めてから来ないと大変なんだよぉ?」
 くすくすと笑う声は、普通の青年なのに、しかしどこか異常性が滲み出ている。こんな場で……。
「……お前は異常だよ、この殺人鬼」
「やだなぁ、笑、って、言って?」
 むせ返るような異常な空気に息が詰まる。その空気が、一人の少女の声で破られた。
「その人から離れなさい!!」
 そこには、この前であった少女、二葉がいた。殺人鬼の目に、一気に狂気が宿る。舌打ちが聞こえる。
「……ねえ、邪魔しないでよ」
 殺気立った声。
「……邪魔なのはどっち」
 二葉は、その狂った男を睨み付けた。殺人鬼は、斧を構えて睨み返した。苛立ちが前面に押し出された声で彼は尋ねた。
「あんた、鉄鋼さんの何なの?」
「……関係ないでしょ」
 二葉は鞄を脇に投げ、竹刀袋を肩から下ろした。竹刀袋の口をあけ、竹刀を取り出す。それを見ていた狂人は、不気味な笑みを浮かべながら叫ぶ。
「ははっ、やる気なの?」
「……ええ」
 二葉も、竹刀を構えた。
 二人の視線がぶつかり、火花を散らした。緊張が高まり、今にも惨劇が起きようとしていた。二葉の竹刀を握る手が強くなる。
――その時――
「おい、お前らやめろ」
 鉄鋼が大声で叫んだ。
「お前らが争っても仕方ないだろう、ご先祖様が泣いているぞ」
 いささかずれた内容の制止の声ではあったが、それは二葉を止めるのには十分であった。
「でも、鉄鋼さん」
 二葉が戸惑った声を上げて、鉄鋼の方を向いた。しかし、ハッとあることに気づいて慌てて殺人鬼の方に体を戻した。迂闊に敵から目を放すこと、それは死につながる。しかし、彼女のそんな気持ちと裏腹に殺人鬼は奇襲は愚か、戦う気すらないようだった。男は、斧を背負い踵を返した。
「……どこにいくの」
 二葉は彼を睨み付ける。男は、振り返るのも面倒そうに、背を向けたまま告げた。
「興が冷めたの。じゃ、刑事さん、またねぇ」
 軽い足取りで、男は視野から消えた。同時に、二葉は膝から崩れ落ちた。
「大丈夫か」
 鉄鋼が駆け寄ってくる。
「……大丈夫です」
 二葉は鉄鋼に支えられながら立ち上がった。
「二葉君、いくら何でもあいつの相手は無理だ。あいつはオレが捕まえるから、君は安心して学校生活をエンジョイしてくれよ」
 二葉は返事をしなかった。高校生を安心させようとする刑事の傍ら、一つの考えが彼女の中にはあった。
 あの男、すごい殺気だった。これではますます放っておけない、あいつは、私が倒す。そんな決意の炎が燃え上がっていた。


 伊久地圭は、夢見る少女でない。
伊久地圭は、誰にでも優しい少女でない。
伊久地圭は、無敵のヒーローでない。
 ただ……伊久地圭は誰かのヒーローになりたかった。

 起きた。
 ぼさぼさになった頭をかき、鼻をひとかみ。
 顔を洗うべく、洗面台へと向かう。水をかぶって、目を覚ます。
 時計を見れば、七時半。家を出るには、まだ早い。  
 朝食をとり、制服に着替える。今日はベージュのカーディガン。鞄の中身を確認して、最後に身だしなみをチェックする。オールクリア。本日も快晴也。
「行ってきます」

 返事の来ない家を出る。今日もまた、一日が始まる。

「おはようございます、双葉さん」
「おはよう、圭」
 同じ中高一貫校に通う先輩、南二葉さん。いつも行く図書館でよく遭遇し、いくつか言葉を交わすうちに気が合い、校内で昼食を共にする仲になった。
……が、今日はいつまで待っても、食堂に二葉さんが来ない。
「風邪……?」
 いや、そのはずはない。朝、確かに校門前で顔を合わせたのだから。心配になり、彼女の教室に向かった。
「すいません。南二葉さんはいますか?」
「南さんなら、あの窓際にいるよ」
 礼を言って窓際へ向かう。そこに居たのは――
 殺人鬼のような目を持つ二葉さんだった。
 目を細め、口を引き結び、少し眉間に皺を寄せている。ただ、それだけの顔なのに。
 眼が、氷のように冷たい。こんな先輩見たことない。まるでここにいないようだった。連れて帰らねばならない。今すぐ。
 そうしないと、先輩が帰ってこない気がして。
「――二葉さん、食堂行きましょう」
「えっ?」
 彼女の手を取り、引く。
「分かったから、引っ張らないでよ」
 抵抗されても、手を引き続ける。
 その理由が、まだ私には分からなかった。



 翌日、二葉はいつもより相当早く家を出た。
 あの殺人鬼は鉄鋼さんにつきまとっている。だから必ずこの街の中にいるはずだ。それなら、朝早くから探せばきっと見つかるだろう。
 その方針の下、二葉は街を探し始めた。
 まずは公園からだ。
 公園にはブランコや滑り台の遊具、砂場などがあった。それから、立ち寄った人が座るためのベンチがつくられていた。ただ今は誰かが横になって眠っていたが……
 ……あれ? その人の脇にたてかけてあるのは……斧?
 二葉はその男の顔をよく見た。それはまさしく、探していた殺人鬼の顔だった。
「……いた」
 思っていた以上に早くみつかり、拍子抜けしたが、それはそれでいい。早く見つかるに越したことなどない。昨日からずっとイライラしていたのだ。今日、こいつを鉄鋼さんから引き離せると考えると、血がたぎるのを感じる。二葉は鞄を横に置き、竹刀を袋から出した。静かに彼に近づいていく。
 すると、突如殺人鬼が体を起こした。二葉が身構える。殺人鬼は二葉を一瞥して、にやりと笑った。
「そんな殺気ビンビンで気づかれないと思ったの? 馬鹿だなぁ」
「……殺人犯の癖に、こんなところで寝ている人に言われたくない」
 二葉は彼を睨み付け、次いで竹刀を中段に据え、宣戦布告した。
「別に、寝こみを襲う気もなかった。私、剣道部だから、正々堂々と戦う!」
 そう胸を張った彼女に対し、極めてどうでもよさそうに殺人鬼は肩をすくめた。
「あっ、そう。まあいいや。あんた、昨日の女だよね? 昨日は逃してやったけど……今日は殺すよ」
 彼はゆるゆると、斧を持ち立ち上がった。
「……その言葉、そのまま返す」
 二葉が応じ、両者は臨戦態勢に入る。昇った朝日の光が二人を照らす。早朝と言うこともあり、公園には彼ら以外だれ一人いない。つまり、二人を邪魔するものは何も存在しなかった。
 張りつめた空気が辺りに満ちる。息の詰まるような時間が過ぎた。二人は向かい合い、身動き一つせずに睨み合っていた。
 ふと、その二人の間を黒い猫が通り過ぎた。甲高く、『ニャー』と鳴く声。崩れる均衡。二人は同時に前へ跳んだ。二葉が竹刀を上げ、鬼が斧を軽く引く。刹那、交わる二つの刃。キンッという音が公園に響いた。
「ん?」
 鬼が、疑問の声を漏らす

C班挿絵

少し考えれば分かることであるが、なぜ、竹と金属でつばぜり合いができるんだ? 本能的に危機を感じた彼は、後方へ跳んだ。一方、二葉はさらに一歩踏み込み、竹刀を横に薙いだ。だが、鬼はさらにもう一歩後ろにステップし、その打撃を避けた……はずだった。
 竹刀が、左肩のあたりを通り過ぎようとした瞬間、彼はちょうどその箇所に何か大きな力が働くのを感じた
「うっ」
 唸り声をあげ、後方へと弾き飛ばされる。
 砂塵があがり、二葉は深く息を吐いた。その砂塵の中、鬼は肩を押さえ喘いでいた。今の攻撃で、斧を支える左肩は外れてしまっていた。
「なんだよ、それ。意味わかんねぇ。竹刀だろ、どうなってる訳……」
 そう言いつつも、彼は次に備えて近場の木にその左肩を叩きつけ、強引に関節を戻していた。
「女だと思ってなめてたわぁ……面倒だけど、本気だそっか」
 砂煙がはれ、鬼は斧を握り直した。先手必勝といわんばかりに再び飛び込んでくる二葉。勢いよく竹刀を突き出す。しかし、それを見切り、斧を振るう鬼。二葉は何とかそれを避け、一歩彼に近づいて刀を振り上げた。ただ、それは見せかけだけの行為であった。それにつられ斧を振った鬼に向かい、二葉が竹刀を突き出した。だが、彼はそれを斧を使いうまく受け流した。
「くそっ……」
 顔をしかめつつ、二葉は数歩下がった。それから、間髪入れずすばやく前方へ跳び、鬼の懐に入り込む。竹刀を左に薙いだが、それも巧みに避けられ反撃を受ける。
ならばと、こちらも避けるのに専念し微かにできたスキをついて素早く突きを放ったが、相手は天性なのか予測していたのかスルリと避けた。
その後も二葉は様々な策を講じたが一太刀も浴びせることはできなかった。
その内、二葉の息が上がってきた。それは鬼も同様だったが、さすがに男と女では体力に差があった。
鬼は少しずつ二葉の動きが鈍くなっていることに気付いていた。このタイミングを見計らい鬼が攻勢に出る。斧を巧みに振り回し二葉を追い詰めていく。そして、ついに二葉が決定的なスキを見せた。鬼が心の中でほくそ笑む。彼は左腕に力をこめ斧を思いっきり振るった。
しかし、それはスッと伸びてきた竹刀によって遮られた。
「ちっ」
 ただ、自分が有利であることに違いはない。鬼は次の機会をうかがいつつ後方に引こうとした。
 その時、思わぬ声が耳に届いた。
「……この時を待っていた」
「!」
 動揺する鬼に二葉が一歩前へと踏み込んだ。
「この距離なら避けられない」
 そう言うと同時に斧を伝ってさっきの大きな力が鬼の体に働いた。
「くっ」
 二葉が竹刀を振りぬいた。ほのかな光が鬼を包み、彼を吹っ飛ばす。
 斧が後方に飛び、音を立てて砕けた。鬼が地面に転がり、また砂煙を上げる。
 二葉は膝を折り、地面に倒れ込んだ。彼女は今放った技に体力をほとんど使ってしまっていたのだ。
「……でも、あれを受けて立つことはできないはず。鉄鋼さん……私、やった……よ……」
 そのまま二葉は気絶してしまった。その表情には満足気な笑みが浮かんでいた。
 やがて薄れてきた砂煙の向こうに浮かぶ影。
だが、それは二葉が想像したような姿ではなく、肩を押さえながらも未だ健在な殺人鬼の姿だった……。

「ってぇなぁ……あー、俺の反射神経に感謝」
 鬼は粉々になった斧を一瞥し、眉を寄せた。二葉にはじき返された瞬間、自らの武器である斧を手放し、身の優先をしなかったら……ジンジンとしびれる両手を軽く振り、彼はその手をポケットに突っ込んだ。そこから現れたのは、銀の光。
「ね、まさか武器が一つとでも思った? 不測の事態も予測してるよ」
 鬼はうっとりとナイフの刃をなめ上げ、二葉の前に膝をつく。
「邪魔をした罪は重いよ。ああ、刑事さん……待っててね」
 その手が振り上げられる。ナイフはひらめき、二葉の胸に落ちる前に、止まった。
 驚愕に彩られた顔で鬼はその背の側を見た。
「おいおいおいおい……嘘……だろ……」
 へらっと、悔しそうに、でも愉快そうに笑い、体を傾がせた。その瞳から鈍い光が遠のいていく。彼の頭に浮かぶのはたった一つ、たった一人の男の事のみ。彼が殺せなかった男、奇しくも彼に命の重みを教えた男。たった一度の運の良さで、彼の心を、全てを奪った男。そしてとうとう、彼を思うあまり周りに注意を怠った彼の、命をも奪う男。そんな男に対して、彼は誰よりも健気で一途だった。
「逢えないのかぁ……もう、二度と……」
 掠れる声でつぶやく彼に掛かる影。
「ううん、逢わせてあげるよ」
 女の声が頭上から響いた。
「愛しのあの人と、ずっと一緒だよ。よかったね」
 その言葉に、彼はふっと笑みを浮かべた。狂気も殺意もない、ただただ恋に溺れた愚かな男の顔だった。幸せそうなその顔を、幸せそうに見つめる少女。少女はその男の背からナイフを抜き取り、血を振り払った。
「二葉さんに手を出すから……刑事と離せた点は感謝するけど」
 誰よりも何事もなかったように、日常と何一つ変わらぬ様子で少女は言う。いつもと同じ無表情で、愛を紡ぐ。
「さあ、あと一人」
 そうつぶやいた彼女は、二葉に優しい口づけを落とし、ナイフを片手に身を翻す。
 

伊久地圭は、夢見る少女ではなかった」。
伊久地圭は、誰にでも優しい少女ではなかった。
伊久地圭は、無敵のヒーローでもなかった。

――他の誰とも変わらない、恋する一人の鬼だった。
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