K4
Eチーム

 その時、彼は思った。
 働きたくない、と。
 高校こそなんとか卒業したものの、大学にも行かず、さりとて就職もせず、家で漫然と過ごしていた。彼はいわゆるニートというやつだった。正直、進学も就職もしなかったのは、何もする気が起きなかったからだ。無気力。それが、蛯澤瞬という男だった。
 そんな男がやっと得た職。
 それは殺し屋だった。
 子供に厳しく世間体を気にする両親はニートを続ける瞬を寛恕しなかった。卒業から一年。遂に瞬は家を追い出された。しばらくは友人の家を転々としたものの、遂には誰からも愛想を尽かされた。学歴も資格もやる気もない。そんな男が唯一持っていた才能。
 暴力。
 瞬が生きていくためには、その力を頼りにするしかなかったのだった。

「もう辞めちまおうかな……」
 瞬は思わず溜息をつく。
 今回の依頼は、とある女子高生を殺すこと。理由は知らない。瞬に仕事を回してくる業者は殺しの理由を絶対に教えなかった。曰く守秘義務の絶対遵守。それがこの世界で生きていくコツだとのこと。なんともせせこましい男だと瞬は思う。そんなもんちらっと教えてくれりゃ良いじゃねえか。ただ、こんな考えを持っているからこそこの世界で未だにひよっこ扱いされているのだという自覚くらいはある。
 正直、瞬は自分がこの殺し屋という仕事に向いているとは思っていなかった。彼が殺し屋になったのはそれ以外に選択肢が無かったからだ。別にこの仕事が天職だなんて思えたことはない。依頼人を軽視したり、守秘義務を軽んじたり、考え方は到底プロのそれではなかった。ただ、この男が仕事を干されなかったのは、その戦闘能力の高さ故だった。今回の仕事も他の殺し屋が尽く失敗したから回ってきたのだ。
 ただの女子高生を殺す仕事。それを仮にもプロの殺し屋が何人も失敗している。つまり、この仕事には裏があるのだろう。さすがにそれくらいは理解していた。しかし、もうそろそろ貯金もなくなる。このままでは今住んでるアパートの家賃どころか明日の食事代も怪しい。この依頼を引き受けざるを得ないのだ。働かなければ生きていけないなんて、世知辛い世の中だ。
「さっさと殺して帰ろう……」
 瞬は情報通りならばターゲットが通るはずの道で待ち伏せしながら最近の仕事を思い返す。思えば最近こんな依頼ばかり回ってきている。
 この前の依頼は、とある新興宗教の教祖の娘を殺せという依頼だった。依頼人は仲介人を挟んだので分からないが、大方内部のゴタゴタだろうと思っている。
 結果からいえば、その依頼は失敗だった。直前で殺すのを躊躇ったのだ。ターゲットは年端もいかぬ幼い娘だったから。
 殺し屋なんて仕事をしている自分は屑だという自覚はある。人でなしだとも思っている。しかし、だからと言って女子供を殺すのを仕事だと割り切れるほど達観してもいなかった。
 結局は殺せず、見逃した。
 しかし、その子は別の殺し屋に殺された。
 自分が手をひいても、その子の寿命はたった数日伸びただけだったのだ。
 ここ最近はずっとそのことを考えている。
「……ちっ」
 何故だか苛立ちが募る。
 さっさと殺して帰ろう。

 遂にターゲットが姿を現す。
 写真で見た通りの容姿。あまり女性に興味を持てない瞬でも「美人」だとはっきり思える美貌だった。黒く長い髪が真っ直ぐ腰の少し上くらいまでかかっている。
 瞬には、戦闘力に関するある異能以外に一つだけ明確に才能だと自認できるものがあった。
 それは記憶力。
 万能のものではない。
 一定以上の集中力を以て事にあたった時の記憶は非常に鮮明に残すことができるのだ。小学生になって初めて喧嘩した時、中学生の時、十数人の高校生相手にたたかった時、高校生の時、やくざと本気で殺りあった時。命のやり取りを行った時の記憶ははっきりと胸に刻むことができる。その時の光景、音、匂い、感触。何もかもを鮮明に覚えている。
 この記憶力を学力に応用できればもっと違った人生も歩めていたのだろうか。
 無い物ねだりをしても仕方がない。
 ともかく今は近づいてくるターゲットだ。
 意識が研ぎ澄まされ、鋭敏になっていく。まるでビデオカメラを回し始めたかのように視界がフォーカスされていく。この光景も自分の中に記録され、未来永劫忘れることはないだろう。
 ――――殺そう。
 人気の無い裏道。
 殺し屋は気配を消して、ターゲットの無防備な背に迫る。

 瞬は手に持った木の枝に《気》を込める。
(――アクティブスキル《鋭気》)
 何の変哲もない木の枝がたちまち固く鋭く変化する。
 物質の鋭利化。これが瞬のアクティブスキル《鋭気》だった。
 この力で彼は今日まで闘ってきた。下手な剣や刀よりも切れ味、鋭利さは上だった。何より一般的な尺度からは凶器を特定できない。誰が只の木の枝で人一人が殺されたと考えるだろう。それに木の枝ならば燃やせば凶器を簡単に隠滅できるし、凶器を持ち込みにくい場所でもペン一本あれば十分戦える。そういう意味でこの力は非常に暗殺向きで、数多い《気》の使い手の中で瞬が重宝された最大の理由だった。
 瞬の右手が女子高生の首に迫る。
(――一撃で仕留める)
 ただの女の子を殺すことへの躊躇いが一瞬脳裏を過る。それを抑えつけ瞬は木の枝をターゲットに突き立てる。
 そして、その一撃は確かにその子の首を貫いた。
(終わった……)
 目の前には血に濡れ、倒れた女の子。
 今回の依頼には死体の回収は含まれていない。別の業者が回収するのだろうか。あるいは放置して事件を知らしめることに意味があるのか。はたまた依頼人はこの女の子の死体がほしいのかもしれない。
 ともかく、今回の依頼は「殺し」まで。あとは痕跡を残さずに立ち去れば依頼は完了だ。
 女の子の死体を見下ろし、瞬は考える。
 本当に殺して良かったのか。
 人を殺すたびに考えないようにして、けど止むことのない思考。
 「殺人は悪だ」なんて安直に考えるほど真っ当な人間ではなかった。ライオンがガゼルを狩るのと同じ。人間が人間を狩り、生きていくのを、何を躊躇うことがあろうか。
 しかし、違うのだ。
 何かが。
 それは何か。
 何かを閃きかけた一瞬だった。
「い、痛いです……」
 どうにも気の抜けた声が聞こえてくる。
 一瞬、誰かに見られたかと考えた。しかし、周囲には誰も居ない。そうそう簡単に目撃者を作る程間抜けでもない。
「こけちゃったみたいです……」
 その声は目の前の死体から漏れていた。
「な……」
 否、死体ではない。ターゲットは生きていたのだ。
(仕留めそこなった……?)
 いや、確かに自分の木の枝は女の首を刺し貫いていたはずだ。
 見間違ったのか、何かの勘違いなのか。
 ともかく目の前にターゲットを殺しそこなったということは間違いなかった。
 依頼を達成したという一瞬の気の緩み。まさにその瞬間に間抜けな声を聞いたものだから次の行動に移るのが遅れる。
「あ、貴方が助けてくれたんですか? どうもありがとうございます」
 女はあろうことに自分の殺そうとした相手を恩人だと思い込んでいるようだ。
(何なんだ……こいつ)
 そんな謎の展開がより瞬を混乱の渦に叩き込む。
「最近、多いんです。気付いたら倒れてて誰かに助けられることが。気付いたら道の真ん中で寝てたり」
 はっきり言って意味不明だ。
 只一つ解ったのは、きっとこの子は何度も今日のような目にあったのだろうということ。
 仲介屋の話ならば、この仕事が自分に回ってきたのは他の殺し屋が失敗したからだ。何度も何度もこの子は命を狙われてきたのだ。今日この一瞬まで。
 そう思うと目の前の女の子が急に不憫に思えてきた。
 では、殺すのを止めるか?
 前回のターゲットの幼い女の子を思い出す。
 自分が殺さなくてもあの子は殺された。
 この業界で狙われた人間がターゲットから外され無事に生き残るケースは稀だ。たとえ、護衛を雇っても、自身を鍛えても、狙われ続ければいつか殺される。四六時中命の危機にさらされ、自分はいつ死ぬのだと怯えて暮らす。そんな惨めな人生の後に、やっと死を迎えるのだ。
 そんなターゲットが急に哀れに思えてきた。
 殺されることがではない。
 殺されるために生きることが、だ。
 そんな惨めな終わりを迎える前に、自分が誰かに狙われ怯えて暮らさねばならないことを自覚する前に、幸せに生きた記憶の中で終わらせてあげるのが、せめても優しさなのではないか。
 目の前の女の子はまだ気づいていない。自分が命を狙われていることに。
 今ならばまだ自分の人生は幸せなんだと思わせたまま終わりを与えてあげられる。
「そうか……」
 ようやく解った。
 自分が殺し屋をする意味。
「君に幸せな最期を与えよう」
 ――俺は誰かを幸せなまま終わらせるために殺すのだ。
 結局は殺されるのだ。
誰が殺そうと同じかもしれない。
しかし、自分が殺さないことで、別の殺し屋に殺されるとき、ターゲットはより惨めな最期を迎えるかもしれない。
それが嫌だとはっきりと自覚した。
自分ならば幸せな終わりを与えることができる。
――きっとそのために俺は殺し屋になったんだ。
 瞬は生まれて初めて働くことに意義を見出していた。自分が社会の一員として、世間に貢献できると思えた。自分の生きがいをやっと見つけられたと思えた。
「感謝するぜ」
「はい?」
「今度は絶対に幸せな最期を与えてやるから」

 ピンク色の物体が路地に広がっていた。
「さすがにここまで切り刻んだら死んだだろう」
 女は妙に頑丈だった。もしかしたら何らかの潜在的なパッシブスキルの持ち主だったのかもしれない。何度急所を刺し貫いても女は死ななかった。「何するんですかぁ」と涙目になっていたが、死ななかったのだ。挙句に「ああ、これはいつもの悪夢ですね」と言ってなんと眠り出した。もちろん睡眠的な意味で、だ。
 仕方がないので、持てるアイテムの限りを尽くして、女を肉塊になるまで切り刻んだ。これで依頼は達成だ。
 女を肉塊に変えるまで記憶は映像を見ているかの様に思いだすことができる。
 これはきっと忘れてはならないことだ。
 ターゲットを幸せに眠らせるそのためには、苦痛の記憶を残してはいけない。一瞬で終わらせないと。では、その死の苦しみの記憶を背負うのは誰か。
 それが殺し屋たる自分の役目なのではないか。
 きっとこの光景は忘れられてはいけないことなのだ。
 そういう意味では今回は妙にターゲットが頑丈であったために手こずってしまったことは謝らねばならないだろう。まあ、この子は夢だと思っていたようだし、そういうことで許してもらおう。
 瞬は非常に晴れやかな気分だった。働くことを嫌がっていた自分はもはや他人に思えた。
 瞬は生まれ変わったのだ。
――これからは自分の仕事に誇りを持つ。
 そう考えながら瞬はその場を後にした。
 後には美しい桃色の肉片と透き通るような白い骨だけが残されていた。




  2
 その時、彼女は思った。
 あいつ、バカじゃないの?

 ようやく、私がターゲットの女子高生を見つけたときには、すでに別の暗殺者が殺しの最中だった。
 先を越された。
 舌打ちしたいのを堪え、様子を窺う。男は無抵抗なターゲットの遺体を切り刻んでいった。死んでまで傷付けるなんて、残忍にも程がある。
 男はしばらくすると立ち去った。
 それにしても……、あんなにハデにやらかすなんて、あいつほんとにバカでしょ。あそこまでやったら、裏からどんなに手を回しても、ただの殺人事件では片付けられないわよ。
 しばらくすると、別の男が現れた。何者かは知らないが、あの男の犯行を一部始終見ていたはずだ。あの男は全く気付いていなかったが。
 仕方ない、消しといてやりますか。……いや、あいつは私の獲物を横取りしたんだもの、捕まればいいのよ!
 私はその男は見逃すことに決め、しばらく様子を見守ることにした。男は何をするでもなく、ただじっと遺体の残骸を見つめていたが、突然、びくりと身体を揺らし、走り去った。
 何?
 訝しく思って駈けよると、そこには健やかに眠る少女が横たわっていた。
 馬鹿な! 切り刻まれていたはずなのに、いったいどうして?
 そこまで考えて、私の脳は思考を止めた。
 目の前の少女に釘付けになってしまったのだ。
 透き通るような白い肌、濡れたような艶やかな黒髪、ふっくらとした唇の隙間から、小さな真珠のような歯が覗く。

 美‼

 女神だわ!
 なんて美しいのかしら……、あぁっ‼
 私は彼女のあまりの美しさに悶えた。
 きっと、瞳も声も、笑顔も。とびきり美しいに違いない。うっすらと赤い、なめらかな頬をつと撫ぜる。
 ああ、早く目を覚まして。お話しましょう。
 うふ、うふふ、うふふふふふふ――

 少女の殺害依頼を受けたことなど、私の頭から完全に消し飛んでいた。


  3
 その時、彼は思った。
 今こそ彼に、恩を返す時だ!

 絶対に公衆の電波に乗せられないレベルのスプラッタになった少女を見下ろし、男は渋面をつくっていた。
 もはやそれが元は人間を形作っていたものだとはきっと誰も断言できないだろう肉塊。それらが男の足元で、不気味に蠢き始めた。
 明確な意思を持っているかのように、ひとところへ肉塊は集まっていく。慎重にその様子を窺っていた男が瞬きをした、まさにその一瞬で、肉塊は肉塊ではなくなった。今はどこからどう見ても、紛れもなくそれはただ眠っているだけの少女だ。
 事前に情報を掴んでいたとはいえ、目の当たりにすると気味悪いことこの上ない光景だ。
 ただ男がひとつ、成さねばならぬことがある。
 
 この少女には、何としても消えてもらわなければならない。
 たとえ自分自身の手が、血に染まらなければならないとしても。


 園田(そのだ) 睦(むつ)は、早々と隠居した父から継いだ小さな機械工場を細々と経営している、ごくごく普通の一般人だ。
 一般人といっても、もちろんそれぞれに個性はあるだろう。睦の場合は、人から「運の女神に愛されている」と称されるほどの幸運体質であることだろうか。
自転車で夕飯の買い物に行っていたとき、暴走車に真正面から突っ込まれたことがある。その時は、自転車と買った卵はお亡くなりになったが、睦は無傷だった。また、不況の波にあおられて知り合いの工場が次々と倒産する中、睦の工場は、仕入れ先の変更が功を奏して原価の大幅値下げに成功したり専属契約している企業の新商品が大ヒットを飛ばして受注が増えたりと、様々な幸運が連続してこの時勢にしては安定した経営を維持することができている。
 もちろん、工場の規模が規模だけに億万長者になれるような成功はしていない。ただ、自分と従業員たちを養っていけるだけの小さな幸福が、睦にとってはすべてだ。
 そのすべてを失いかねない事態に陥ったのが、もうニ年は昔の話になる。
 しがない一介の工場長が巻き込まれるにはあまりに非現実的に思えるような出来事。「闇金業界のドンにそっくりさんな一般人」だなんて、映画か小説の中だけの設定だろう。何がどうなって自分がその役にあてられてしまったのか、未だに睦には理解できない。
 睦は、本当にただの人違いで、「殺し屋」というこれまたフィクションの登場人物のような職種の人間に追われる立場となった。
 この時ばかりは、とうとう天の女神様も自分を見捨てたのか、そもそも運がいいなどと楽観して浮かれていたのが間違いだったのかと、自分の不運を嘆いた。
 しかしここでも、睦は幸運に救われたのだ。
 明らかに堅気の人間ではない、鋭い眼光の男に銃を突きつけられる、恐怖。もう僕の人生終了だ、走馬灯でも浮かべるべきかな工場どうしようお嫁さんくらいもらいたかったななど、現実逃避にまっしぐらだった睦を迎えたのは、予想していた無情なる銃声ではなかった。
「何やってんだよ。そいつ、ターゲットじゃないだろ」
 暗がりからぬっと腕が現れ、睦に向けられていた銃身を掴む。突然の乱入者は、おそらくは二十歳もいっていないだろう、確実に睦よりは若い少年だった。
 少年は二言三言男と言葉を交わした。すると殺し屋の男は不審げに睦と少年を交互に見る。少年は男の煮え切らない様子に痺れを切らしたのか、苛立ちをにじませた語気できっぱりと言い切った。
「俺が記憶違いするわけない。こいつは、俺たちが狙うターゲットじゃない」
 それはまさしく、どん底の状況にあった睦に差した一条の光であった。
 彼はきっと、睦を助けようなんて微塵も思っていなかったに違いない。俺たち、という表現から察するに、どちらかと言えば彼は睦を殺そうとした男の協力者なのだろう。が、彼の言葉で、殺し屋は睦を狙うのを止めた。
 睦は命を拾ったのだ。

 その事件があってから、睦には工場長の他にもうひとつライフワークができた。

 彼――蛯澤 瞬の追っかけ、つまりファンだ。

 何かのファンといえば、アイドルとか女優とか、芸能人が対象であることが多いだろう。
 睦が少し世間一般とずれるのは、その対象が自分の命を救ってくれた「殺し屋」であるというところだ。
 自身が殺し屋業界に巻き込まれる事件を経験して以来、睦は存在を知ってしまった裏社会へ度々頭を突っ込むようになった。背徳感はあるものの、何故か興味がおさまらなかった。怖いもの見たさというやつだろうか。必要悪、というものがこの世を支えているのだということも、だんだん理解するようになった。
 その中で、睦はすっかり瞬のファンになってしまった。
 瞬はその秀でた能力とは裏腹に、プロ意識が薄いとかで中々有名な問題児らしく、情報を手に入れるのにそう困難はなかった。
 裏社会を覗くようになってから、アクティブスキルとか何とか言う能力のことも知った。人に備わっている『気』を練って能力として発現するのだとか。瞬のスキルは手に持ったものを刃に変えてしまう能力なのだ、かっこいいだろう!
 ファンをするにあたって、アイドルじゃあるまいし、情報は独自に集めるしかなかった。平和に工場長だけしていた頃には想像もつかなかっただろうほど壮絶な状況に陥ることもあったが、それもそれでスリルがあって楽しいとまで言える。
 睦は、自分なりにファンとしての心得を胸にファン活動をしている。
 絶対、本人に睦の存在を悟られないこと。
 そっと彼を見守っていること、それが睦の主な活動だ。
命を助けてもらっておいてなんだが、彼はどうも危なっかしい。どこか甘さを残しているスタイルが、彼の人となりを表しているようで微笑ましく、一方で心配でならない。
 しかし干渉は許されない。礼節をわきまえてこそファンたるのである。対象のプライベートにまで踏み込むような奴はファンの風上にも置けない。
 自分はただ、密かに彼を応援できるだけでいい。

 最近瞬はスランプに陥っているようだった。
 任務を完遂できないことが何度か続くようになる。
 どうもターゲットに同調して殺すのを躊躇ってしまうようだ。――そこに付け込まれて、危険な目に遭ったりしなければいいのだが。
 心配しつつ今日もまた、睦は電柱の陰からそっと瞬の活動を見守っていた。
 今回の相手はかなり厄介だ。調べれば、なんと「不死の少女」であるというではないか。彼女が生きていると都合の悪い人々がいるらしく、幾度となく命を狙われていてもなお生き延びている少女。とうとう瞬にまでお鉢が回ってきたらしい。まあ、少女は自分を狙う殺し屋の存在すら認識していないただの一般人らしいから、瞬が返り討ち、なんてことは無いだろうが。
 瞬は、少女を切り刻んで去った。今までの浮かない表情ではなく、何か吹っ切ったような晴れやかな顔をしていた。
 少女を殺したことで、瞬は何かを得たのだろう。
 しかし――瞬が去ったのを確認して、睦は少女だったもののそばへ近寄っていった。
 彼女は、不死なのだ。
 しばらく、肉塊を眺める。
 案の定、だった。彼女は、生き返った。
 少女が目を覚ましたらまずいかもしれないと思って、いったん睦は近くのビルに身を潜めた。そして脳内で会議を開く。
 今までは、瞬を見守るだけで満足してきた。が、自分は、瞬に命を救ってもらった恩をひとつも返していないのではないだろうか。
 ファンはプライベートには不干渉なのだと、何もしてこなかった。瞬が思い悩んでいるときも、何もしなかった。果たしてこのままでいいのか。
 ――否、せめて恩義は返さなければ。今までどおり密やかに、しかし今度は彼の役に立つように。
 あの少女が死ななかったとなると、殺したと思い込んで帰っていった瞬はまた依頼を完遂できなかったことになる。せっかく見つけた悩みの脱出口も、また見失って落ち込んでしまうかもしれない。
 ただの一般人だけれど、何かしたい。
 彼の心の安寧を守ることも、ファンの仕事だ。

 さてここまではいい。次の議題だ。
 どうすりゃ不死の人間なんぞ殺せるのか。
 肉塊レベルでなく塵芥にまでしてしまえばいいんだろうか。相手を消滅させる能力持ちだと良かったのに、あいにく睦は完全なるパンピーだ。
 持っているのは、カイロ代わりの缶コーンスープと、護身用に調合した爆弾くらいだ。工場で扱っている機械の知識をちょっと応用して作っただけで、人一人をバラバラに塵芥にできるくらいの威力しかない。
さて困った。
まあ、せっかく爆弾を持っているのだしぶつけるだけぶつけてみるか。
 脳内会議は一応の結論を出した。よし、頑張ろう。
 決意も新たに、缶コーンスープを握りしめる。爆弾は握りしめると爆発しそうで怖いから懐に大事にしまっておく。
 ビルを出て、先ほど少女が眠っていたところへ戻る。彼女はただの女子高生だから、爆弾ぶつけるくらいは睦でもできるだろう。
 ただひとつ、誤算があった。
 少女は相変わらず眠っていた。しかしその傍らに、見覚えのある女性がいたのだ。
 彼女は確か、殺し屋の一人だったはずだ。男にやたらめったら厳しい女性だ。個人的に苦手である。
 おそらく少女を殺しに来ているはずだが、何やら様子がおかしい。
 少女の寝顔を眺めて、恍惚としている。
 ……なんだか怖い。さっさと爆弾ぶつけて帰ろう。瞬の役に立ちたい気持ちはあるが、凡人には凡人の限度というものがある。
 射程に入るまで歩み寄る。足元で、枝が折れた。
「っ!  誰!」
 殺し屋の女性が睦に気付く。まずい。
 とっさに手にしているものを投げる。その物体は放物線を描いて宙を舞い、女性は銃でそれを撃ち抜いた。
 缶コーンスープだ。
 缶が破裂して中身がぶちまけられる。突然の出来事に女性は避けきれなかった。アツアツのコーンスープが彼女に降り注ぐ。
「今だ! くらえ、ただの一般人の僕が自主制作できる程度の爆弾っ!」
 ハンドボール投げ記録10mの腕力をすべて傾けて渾身のストレートを放つ。一直線に爆弾は少女の方向に飛んでいく。
 着弾の瞬間を見ることなく、かなり少女に近づいていた睦は踵を返した。
 すぐ背後で破裂音が轟く。熱と光が背中を焼く。爆風が追い風となって、勢い余って道端のゴミ箱に躓いた。
 服は焦げたが、怪我らしい怪我は転んですりむいた膝だけだ。睦は爆弾からの避難に成功した。
 とりあえず投げてやろうと思った爆弾を無事投げられてほっとする。
 が、そんな睦の耳元を、銃弾が掠めていった。
「この子に何てことするの!」
「ごめんなさい手持ちに爆弾があったものでつい出来心で僕パンピーなんですすいませんっ!」
「許さないわ、男なんて、この世に生きている価値は塵粒ほども無いのよ!」
 激昂した女性が銃を乱れ撃つ。髪を掠め、服に穴が空き、目の前の壁に弾がめり込む。
 普通に怖い。
 睦は全速力で逃げ出した。できれば瞬の役に立ちたかったが、こんな自分では力不足らしい。努力してみた、ということだけで今回は良しとしよう。そうしよう。

 雨あられのような弾丸の嵐の中、幸運にも睦は、一発もその身に受けることなくこの場を逃げ出した。





 依頼を請け負った。当然、暗殺、殺人である。今度の標的は女子高生、もちろん、躊躇も同情もない。暗殺される人間というのは、必ず、大変な悪事を積み重ねたか、あるいは、大変な凶星の下に生まれたか。どちらにせよ、そういう人間に対して私の同情する余地はない。悪事を重ねたものならば自業自得であるし、そういう星の下に生まれてしまったのであるなら、そういう風に宿命づけられたのが悪いのである。
 対象は、本当にどこにでもいるような女子高生であった。なんて簡単な依頼なのかしら。これで、普通の十倍の報酬が出るなんて馬鹿らしい。彼女の暗殺に、何人もの暗殺者たちが失敗しているらしいが、それは彼らが愚かで、下手なだけである。私は、失敗しない。
 ビルの空きテナントからスコープを覗きこむ。ああ、本当に無防備だ。あれで何度も命を狙われているというのかしら。
 実に、愚かだ。
 ライフルを構える。手入れは十分。この世界に入ってまだまだ若輩とはいえ、当初からずっと仕事を共にしてきた相棒である。ケアを怠るはずもない。
 今日もよろしく頼むよ、相棒。
 引き金に指を掛ける。学校帰り、のんきに友達と肩を並べて帰る少女に照準を定める。
 3、2、1、ズドン。はい、終わり。
 弓道で言うところの残心。暗殺の極意にも、それに似たような過程がある。確実に仕留めたと思っていても、けしてしばらくは目を離してはならない。自身の腕に奢り高ぶっているものは、これをよく忘れる。これを忘れてしまっては、暗殺は成り立たないというのに。
 弓道における残心は、射た矢が的を貫いているかの確認作業としての行為であるが、暗殺における残心は、少々性質を異にする。
 当てる、当たると確信してトリガーを引いた以上、放たれた弾丸は必ず当たっている。暗殺者の弾丸というのは、必中の凶弾であるのだから当然の結果である。故に、当たったか否かの確認作業など、本来必要ないのである。であれば、残心は何のためにあるのか。
 実は、私にもよく解っていない。
 感覚としては、珈琲を口にした時、カップから唇を離して、しばらく珈琲の余韻を感じる、あの感じに似ている。つまりは、余韻を楽しんでいるのである。
 暗殺を悪いこととは思わない。この世の必要悪であり、それ以上に、代々継いできた家業である。どうして後ろめたい感情を抱けようか。私は、自分の暗殺者という職に誇りを抱いているし、胸を張って、生きていける。
 ずどん、と肩に発砲の反動を感じ、残心に目を細める。ターゲットは死んだ。後は余韻を楽しむのみ。
 が、違った。
 ターゲットの脳を斜めに貫き、少女は血を噴いて、確かに倒れた。はずだった。
 しかし、かの少女は何も変わらず、何事もなかったように同級生と帰り道を歩いている。
 何故だ、何故死なない。今、確かに必殺の凶弾を放ったはずだ。頭の中で様々な考えが巡る。
 ターゲット間の風速の計算を間違えたのか。そんなはずはない。そんなミスは、子供の頃に何度も犯した。スコープの倍率を間違った。馬鹿な、相棒の調整を間違うはずがあるか。
 となれば、原因はひとつしかない。
 突如、遮蔽物が現れたのである。
 しかし、一体どこから、そして何が。木の葉程度であれば、頭蓋を貫かなくとも、わずかな軌道の変化により、身体を掠めているはずである。大きく軌道を変えるような何かが、突然現れたに違いない。
 不意に、殺気。どこから!
 スコープを覗きこむ。女子高生がこちらを見ている様子もない。やはりふ抜けた顔をして、下校している。
 倍率を下げる。あっ!
 女が、こちらを睨んでいた。彼女との距離は、およそ200m。その距離をして、殺気を、しかもこれほど明確に飛ばすなんて、よほどの手練に違いない。
 ならば、先ほどの弾丸も彼女に防がれたと考えてよいだろう。
 前言撤回しよう。何度も暗殺対象になっているだけはある。一筋縄ではいかないようだ。

 居場所を知られた以上、すぐに場所を変えねばならない。急いで身支度をし、ビルを降りる。
 200mの距離はあるといえども、護衛が彼女一人とは限らない。可及的速やかに退散する必要がある。幸いにも今いた場所はビルの5階である。一気に飛び降りられる程度の高度だ(幸い、などと言っているが、もちろん今のような状況も考慮した上での狙撃ポイントである)。
 30mの高さを急降下している途中、先程の女の視線を思い出していた。いかに手練といえど、200m先にいる相手に、殺気を、あれほどまでに強烈な殺気を感じさせることができるであろうか。あるいは、何かしらのアクティブスキルを保持しているのかもしれない。なんにせよ、厄介な護衛を雇っているものである。
 着地し、落下の衝撃もそのままに走り出す。少なくとも1km以上の距離は取りたい。道を左右に何度も折れ、土地勘のない私にはもはやどこにいるのかも分からないほど道を巡った。ここまでくれば大丈夫だろう。
「次に、あの子に手を出したら、承知しないわよ」
 はっと振り返った。狂気と怒気と殺気のこもった声。しかし、誰の姿もない。おそらく声の主はあの女であろう。やはり何らかのアクティブスキル持ちなのであろう。距離を無視するだとか、相手の感覚に直接訴えかけるだとか。
 私にそんな異能はない。そもそも、そういうもの頼みでこんな世界を生きていくのは、恐ろしくて仕方ない。もしその異能が突然失われたらどうするのか。異能頼りに暗殺稼業を続けるとは、そういうことである。私は、私の腕のみを恃んで、この仕事を続けている。異能頼りの彼らとは、違うのである。

 態勢を整え、再びライフルを構える。今度は外さない。
 いかにあの女が障害といえども、暗殺対象以外を殺すのは私の美学に反する。暗殺は華麗かつ、最大効率で、かつ最少のコストで行わなければならない。
 あの女の邪魔の入らないところ、それは学校の授業中である。さしものあの女も、授業中に阻害することは難しかろう。それに、今回は何重にも策を巡らせてある。ひとつ、まずは普通に狙撃する。ふたつ、妨害された場合、速やかに退避、転進し、学校へ潜入。みっつ、対象を殺害する。
 この作戦のメリットは相手の意表をつけるところにある。暗殺の基本は、失敗した際にはすぐさまに退散することである。私も前回はそうした。が、その固定観念を打ち破るのがこの作戦の長所である。が、もちろんデメリットもある。例の女との交戦する可能性も高いし、なにより私は白兵戦が苦手である。十五歳という肉体は、白兵戦に向いていない、どうしても力負けしてしまうのである。
 スコープを覗く。平和ボケした学生どもが、眠たげに、黒板に板書されたつまらない知識を、ひたすら、無思考に写している。あんな、家畜とも劣らない馬鹿どもを、私が殺せないはずがない。
 殺せないはずはないが……。
 わずか引き金から指を外し、スコープの中の光景に注視する。もしも生まれてくる家が違えば、もしも私が暗殺者の家系に生まれなければ、或いは、あのようにだらしない顔をして、時には同級生と好きな男の話をしたり、どこそこにできた新しいスイーツの店の話をしたり、していたのかもしれない。
 逡巡ではない。迷いでもない。ただの感慨である。
 頭を切り替える。
 ずどん。
 やはり、防がれた。
 計画通り、すぐさまに移動を開始する。私の走行速度と、授業時間などの様々な時間を考慮した結果、私が想定したルートを走れば、ちょうど下校の、彼女が友人と別れてひとりきりになる瞬間に、鉢合わせる。その瞬間に、斬る。
 が、もちろんその計画は狂う。こういう時のために、むろんいくつもプランは用意してある。プランA,B,C,Dは失敗。謎の現象により走行を阻まれた。しかし、プランE、ビルとビル間を跳躍により移動し、そして3階の高さから飛び降りることで、彼女が下校の際に必ず通る路地へ着地する。
 他に路地を使用している者はいない。突如視界の上から現れた私に、少女は目を丸くしている。
 悲鳴を上げる間も与えない。斬る!
 頸動脈を確かに切断した。血も噴きだす。その瞬間、路地を曲がって、例の女が現れた。私の計画は成功した。
「遅かったですね。もう殺しちゃいましたよ」
「小娘のわりに、なかなか面白いプランじゃない。この道も長いけど、油断しちゃったわ」
「そしてその一抹の油断が命取り。あなたに用はありません。さよなら」
 踵を返し、立ち去ろうとした、その時、
「あはははははははは! さよなら! ですって。あなたの任務は? その子を、殺すという任務はどうするの!?」
 女が狂気じみた笑い声をあげ、おかしなことを口走った。私の任務は確かに達成した。頸動脈を切断し、いま現に血を噴き出している――否、噴き出していなかった。
 私は幻覚を見たのか。いや、そんなはずはない。少女は実際に今、アスファルトのうちっぱなしに横たわっている。
「種明かしをしましょ。その子はね、死なないの。なにをしても。何人もの暗殺者がその子を殺そうとしたらしいけれど、誰も成功しなかった。でも、死なない。一種の呪いかもね」
 死なない、だって? そんなはずはない。この世に殺して死なない人間なんていない。自然の摂理に、この世の因果に反している。
 が、彼女の言の通り、少女は生き返った。斬ったはずの首の傷は塞がり、血も流れ出していない。私が斬る以前の姿に、戻っていた。
 むくりと少女は起き上がり、首をさすりながら少女は目を白黒させている。「何ですかぁ」などと、この場に場違いな声すらも。
 どんなカラクリを使った。と詰問しようとして、女の方へ向き直るが、すでに女の姿はない。暗殺対象に見られる訳にもいかない。少女の足を払い、倒れた隙に走り出す。
 暗殺対象は、やはり一筋縄ではいかないようだ。

 その後も、私は彼女を根気強く、辛抱強く、何度も殺害した。いや、殺害しようとした。何度凶弾を撃とうと、凶刃を突き立てようと、彼女は死なない。
 悔しかった。何故、死なないのか。私は自分のこの仕事にプライドを持っている。私が依頼して殺せなかった相手はいない。
 私は躍起になった。そのたび、仕事は雑になり、成功率も下がっていった。
 もはや守るべきプライドも崩れ、何のために彼女を殺しているのか、依頼をためか、それとも自身の為か、両方の為か、もしくはそれ以外の為か、正体も分からなくなる程であった。
 そんな時であった。彼女から、連絡があったのは。




  5
「一時休戦という訳にはいかないかしら」
 私は例の暗殺者のお嬢ちゃんに連絡をつけた。愛しい、いとしいあの子に付き纏うおじゃま虫。
「否」
「あら……。でもあなた、あの子を自分の手で殺したいでしょう?」
「是」
 ふふと笑う。
「なら取引しましょう。私はあの子を守りたい。あなたはあの子を殺したい。だから、私が留守にしている間、あなたにはあの子を守ってほしいの」
「?」
 怪訝な顔でこちらを窺う。
「あなたがあの子を守っててくれたら、私は私のシゴトに集中できる――あの子の殺害を依頼してる馬鹿な奴らを皆殺しにできるわ」
「私には何の益もない」
「あるわ。依頼する者が消えれば、もう誰もあの子を狙わなくなる。つまり……あの子を狙うのはあなただけ。どう? 魅力的でしょう?」
 少女はしばらく逡巡し、口を開く。
「私が殺すのは構わないと。なぜ?」
 決まってるじゃない、にっこり笑って続けた。
「糞ゴミの野郎共にやられるくらいなら、カワイイ子にやられる方がまし。目の保養になるわ」
 あの子には敵わないけど、あなたもなかなかよ、と囁くと、必死の無表情で五メートル以上も飛び退った。
 うふふ、カワイイ――

 お嬢ちゃんをひとしきりからかってから、肯定の
返事をもぎ取った。
 さて、後はジジイ共か……







  6
 蛯澤瞬は動揺した。
(あの女、なぜ生きてやがる……!)
 あの女は以前自分が切り刻んで殺した女子高生だった。自分の仕事に関する記憶力に間違いはない。瓜二つ双子であっても見分ける自信がある。
(でもこれで得心がいった)
 あの女は只の人間ではないのだ。
 最初に刃物にした枝を突き立てたとき、殺したと思った。しかし、実際には女は生きていた。だから、念入りに切り刻んだのだ。それこそ肉塊になるレベルまで。あれで生きているのは化け物だ。つまり、あの女は化け物なのだ。
 あの依頼では、仲介屋に以来の達成を主張したのだが、「肉塊にしちまったらターゲットを殺したかどうか確認できない」と言われ、結局、報酬はもらえなかった。その時の仲介屋の表情にはどこか冷笑が浮かんでいたような気がする。あれは、実際には女を殺せていないことを知っていたからだろう。
(俺は間抜けだな……)
 自分はあの依頼を通して自分の生きる意味を見つけられたと思った。
 初めて仕事に誇りが持てた。
 なのに、
(俺はとんだピエロじゃねえか……)
 確立したはずのアイデンティティが崩れていく音がする。
 自分の頼みとする足場が無くなっていくのを感じる。
 崩壊しようとする自己をかろうじて繋ぎとめる。
(――これは俺が俺であるための闘いだ)
 依頼も何もない。あの女の子は今もきっと命を狙われ続けている。それは可哀そうだ。だから、自分があの子の人生を終わらせる。他の誰でもないこの自分が。
 全ての感覚を鋭敏に研ぎ澄ませる。
 あの女にフォーカスを合わせていく。
(――こんどこそ幸せな最期を君に与えよう)
 そして、闘いが始まる。



  7
 園田睦は応援した。
 やはり瞬は、任務の失敗に気づいて少女のもとへ戻ってきた。今度こそ、と気負っているのだろう。
 ただ、今回は前とは状況が違う。少女は不死でも前は反撃される心配は無かった。でも今は、瞬の他に少女を狙う殺し屋が少女を殺そうと何日もの間張り付いているのだ。もし、この殺し屋がどうしても少女を自らの手で殺し、依頼を完遂したいと考えているなら。少女を狙う別の殺し屋、などという存在は邪魔でしかない。排除の対象になりかねない。
 彼はちゃんとあの殺し屋についての情報を掴んでいるのだろうか。不意打ちを食らったりしないだろうか。
 任務に対する下調べ、というものは瞬は苦手そうに思える。というか、あまりに秀ですぎる戦闘能力ゆえにそんなことをしなくても殺しを達成できていたのだ。しかしいくら彼が強いといえど、心配なものは心配なのだ。活躍はしてほしいが怪我はしてほしくないというファン心理である。
 この間は睦も少し頑張ってみたが、本来ファンとは舞台の外野であるべきだ。実際殺し屋の真似事をしてみたことで身にしみて分かった、睦にできることはきっと、瞬を応援することだけなのだ。
 睦も「不死の少女」についてもっと情報を集めているが、絶対に殺せないという事例ばかりが判明して、彼女を殺せる方法は全く見つかっていない。もし見つかればそっとひっそりこっそり瞬に悟ってもらえるように工作して知らせるのに。やはり一介のファンにできる事は少ないんだろう。

 とにかく、ファンとして一番大切な活動をしよう。
 応援。心の底からの応援。
 もしかしたら、何かの拍子に、少女を殺せるかもしれない。少女は殺せないとしても、それを狙う殺し屋を倒せればある程度自信も戻ってくるだろう。

 僕はここから見守っています。
 張り込み用のあんパンと缶コーンスープを両手に、睦は誰にも気づかれないよう細心の注意を払って電柱の陰に潜んだ。



 不承不承、あの女の条件を飲んだ。まことに、遺憾である。暗殺対象を守護するだって。荒唐無稽、馬鹿げている。が、確かに一度たりともターゲットを逃がしたことのない事実と自負が、私の首を縦に振らせた。
 暗殺、ではなく、守護である。暗殺と守護は、一見両極端の立場に見えるが、実のところ、内容にそこまで大きな差異はない(正道を選ばない限りは)。
 今日も変わらずスコープから少女を覗きこむ。が、倍率は以前ほど絞ってはいない。彼女と、それを取り巻く環境もしっかりと見えるように。
 私流の守護とはすなわち、彼女の暗殺を狙う暗殺者を、何よりも速やかに排除すること。後手後手に回るのではなく、先手を取って守護する。
 人気のない路地、彼女の普段の帰り道である。もしも同業者が彼女を狙うというのであれば、学校施設の中で、遠距離からの狙撃、もしくは彼女が一人になるこのポイントのどちらかである。
 来た。
 路地の壁を殺気が反響する。空気が張り詰める。相当に気配は消しているようだが、抑えきれない殺気は、もはや同業者である私にとっては可視光線のようなものである。が、あまりにも強烈な殺気は、乱反射を繰り返し、その出所を隠匿する。
 どこだ。どこから来る。
 ――見えた!
 飛び放つ銀光。鋭いナイフのようにも見える。三点連射、残心の後に転身し、再びスコープを構える。
 二度目の狙撃。再び撃ち落とす。
 そして三度、四度目、五度目。既に攻防は二十を超えている。これほどの殺気をたぎらせながらも、確実に気配を消している男が、焦れて向こうから出てくるはずもない。ならば、こちらから仕掛けるほかない。
 二十の銀光の発射位置からおおよその潜伏場所は割り出した。が、もちろん意図的に誘導されている可能性もある。虎穴に入らずんば虎児を得ず。ライフルを背負い、走り出す!
 ビルとビルの間を飛び越え、彼女が最後に通り過ぎるビルの3階の扉を開ける
 ! 首筋を鋭利な刃がかすめる。――真後ろから。
 釣られた。けれど、何もこんな状況、初めてではない。
 両手を上げる。ホールドアップの格好。背中のライフルには腕の届かないことをアピールする。
「手を引け」
「嫌だ」
「さもなくば」
「あなたは、暗殺に失敗したこと、何度もあるでしょ」
 一瞬の動揺、空隙。身を躍らせ、射程から逃げ出す。ライフルを構え、相対する。
「私もね。暗殺を失敗するやつは、みんな甘ちゃんなの」
 今までの私なら、ここで即座に足を撃ち抜き、足止めに徹していた。が、護衛、護衛、という言葉を頭の中で反芻する内に、まるで自分がおとぎ話のナイトのように思えてきた。まったく馬鹿げた話である。
 男の眼差しはぎらつきを隠していない。よほどの覚悟を以てこの暗殺に臨んだのであろう。だが、ほとばしる殺気がないとはいえ、私にも覚悟はある。
 このターゲットを、私の名と矜持と、代々流れる血にかけて、確実に殺す。だから、このどこの馬の骨とも分からない男に、彼女を殺されにはいかない!
 視線が交錯する。お互いに銃口を向け合い膠着――の隙は与えない。即座に撃鉄を落とし、大腿を撃ち抜く。
 いくら甘くなったとはいえ、自身のアイデンティティを見誤るほど、愚鈍な女ではない。
「あの子は諦めてくださいね。あの子は、私が必ず殺すんですから」
 あの子は私が殺す。他の誰にも、殺させない


  9
「ただいま~。元気にしてた?」
「遅」
「そんなにかかってないわよ? 朝会ったばかりじゃない」
「依頼人は?」
「ちゃんと髪一本残さず消したわよ。どうしたの? ちょっと不機嫌じゃない?」
 あ、と言って、にやりと笑う。
「私に会えなくて寂しかった?」
 ちゅっ
「(白目)」
 暗殺者の少女は白目を剥いて気絶してしまった。
 あーあ、これは起きたら殺されそうね。……まあ、それもアリだわ。
 美少女を見守りながら、生意気なお嬢ちゃんに狙われるなんて、これから愉しくなりそうだわ。
 うふ、うふふふふ、うふふふふふふ――


  10

 結果として、私が彼女を再び殺すことはなかった。そもそも殺そう、という意思の抱くことすらもなかった。初めの内こそ、不死などという馬鹿げた彼女の特性を覆すために、根気強く様々な方法を調べてみたが、どれも確かなものはなく、どころか、なおさら彼女の不死性を裏付ける論拠ばかりが現れてくる。
 次第に、傷ついたアイデンティティの隙間に、沁み入るように「何か」が入り込み、じっくりと順応していった。
 スコープを覗くこともまた二度となかった。愛用の銃に触れるたび、二度目に彼女を狙った時に、スコープの映しこんだ光景が、網膜に焼きついて離れないのである。
よだれを垂らして呑気に眠る顔、真面目な振りをしてノートに向かう顔、ぼうっと空を眺めている顔。
 彼女を殺さねば回復しないと思っていたこの私の矜持を埋めたのは一体何なのであろうか。そして銃に触れる度、引き金を引くのを妨げるようにフラッシュバックする光景、これもまた。
 フラッシュバックした光景の中にあの子の平和ボケした顔を見つける度に、胸がずきりと痛み、同時に、感じたことのない感情が、心を占める。
 これは一体何なのか。
 これを知る為には、もっと彼女について知る必要があるように思えた。文献や、第三者の目を通したものではない、生の経験、知識が。
 自分で言うのも何だが、私は根気強い。あるいはしつこいとすら言えるかもしれない。死なないと分かっていながらも、不死の少女を十度以上も殺したのである。
 私は彼女を追いかけた。当然、ただ追いかけるだけでは、あの女の妨害も受けた。これではロクに観察もできない。
 考え、考え抜いた結果、
 私もあの学校に通うことになった。
 もはや銃も握れないのであるから、暗殺者などという職業には戻れない。銃を握れない原因が、彼女にあるのであるなら、どちらにせよ、彼女のことをもっと知らなければならない。
 入学は比較的スムーズに行えた。国外のターゲットを暗殺する際に使うIDが上手く機能してくれた。
 日野 美咲。それが、今の私の名前である。
 ターゲットの少女の名前は、山川 小鳥といった。
 私の量産品めいた偽名とは違う。素敵な名前だな、なんて柄にもなく思ってしまった。
「こんにちは」
「む」
 例の女だ。この女は、ここの教員に紛して彼女に接近しているのか。
 彼女はとても元気で快活であった。まるで今まで暗殺の嵐に晒されていたとは思えぬほどに。
「なぁに、あなたもこの子に魅力にガツンとやられちゃったの?」
「違う、彼女を殺す方法を探すため」
「まぁたまた、無理しちゃって」
「違う、放せ!」
 下卑た笑いを浮かべる女の手を振り払って、小鳥との待ち合わせ場所に向かう。
 今日も、彼女について知ることはたくさんある。









































  11
 撃たれた。彼が、撃たれた。
 足を貫通した弾丸は路地のコンクリートにめり込む。瞬の身体が崩れ落ちる。
 動けない。全身から血の気が引く。
 もちろん、睦の目の前で瞬が負傷するのはこれが初めてではない。それだけ危険な職業だ。しかし今までは瞬は、負傷しつつも何とかその状況を切り抜けてきた。もっと大勢の敵に囲まれて襲われたことだってあった。
 そう考えれば今は相手がひとりだけ。しかし何か嫌な予感が睦の心の底を冷やす。
 瞬の纏っていた殺気が、霧散した。
 今追い打ちをかけられれば確実に殺される。それほどまでに、瞬の集中力は途切れている。

 飛び出して、庇いたかった。けれど、足は動かない。

 相手が瞬にとどめを刺さず、踵を返して立ち去って行ったのは、幸運以外の何物でもなかった。

 女性殺し屋が去った後も、瞬は動く気配がなかった。
 目が虚ろで、どこにも焦点が合っていない。まるで抜け殻だ。
 今、彼の信念は根元から折られたのだろう。
 こんな時、一介のファンになにができるのだろうか。アイドルならばファンレターでも送るのか。しかしプライベートに干渉するのは禁忌だ、住所を調べるなんて礼を欠く行為はできない。ならば、何ができるのか。
 そっと見守っているだけでいい、なんて。ただのエゴだろうと指摘されれば、否定できる材料がない。
 落ち込んでいるなら、慰めたい。声をかけてあげたい。君はひとりじゃないんだ、と、知ってほしい。君に感謝している人間がここにいるのだと、知ってほしい。
 これじゃただのストーカーか。睦は、自嘲の笑みを浮かべた。こんな有様じゃファン失格だ。
 けれど。睦は地面に蹲る瞬を、血だまりの赤を見遣る。命の恩人が苦しんでいる時に、ファン精神がどうこうと言って何もしないのも、今の睦には耐えられなかった。
 受け入れられなくていい。拒否されれば離れればいい。
 震える指先を抑え込むよう強く握りしめる。

睦は、決意をした。
 自分で引いた境界を越える、決意を。


















  12
「私はあなたのファンです」
 そんな突拍子もない言葉をかけられたのは、暗殺に失敗し、あまつさえ情けをかけられたのか、とどめを刺さずに見逃されるという屈辱を噛み締めていた時だった。
 もはや殺し屋同士の戦闘を見られたという事実も、情けなくも負けたことを見られたという事実も頭から飛んでいた。
「ファンって何だよ……」
 瞬は歌手でもなければ、作家でもない。少なくともファンが付くような活動をやったことなど一度もなかった。
「私は貴方に一度命を救われました。それ以来ずっと貴方を見守っていました……」
「見られてたってことかよ……」
 暗殺者が目撃者に気付かないなど恥曝しもいいとこだ。
「俺、暗殺者に向いてないのかね……」
 やっと自分の仕事に誇りを持てたと思えた。
 生きる意味を見つけられたと思った。
 でも全部幻想だったのか――。
「そんなことないです!」
 自分より少し年上の男。人の良さそうな顔をしている。
 こいつは……
「ああ、おまえ、あの時の間違われた男か……」
 以前、別の業者と組んで仕事をした時、業者があろうことか人違いをしそうになったのだ。確かに他人にしては似ていたが、自分が間違えるはずもない。その間違いを指摘し、この男を見逃させたのだ。
 まあ、ある意味ではこの男を救ったと言ってもいいかもしれない。口封じで殺すという選択肢もあったが、死体の処理をする手間を考えれば、見逃した方がましだろう。その程度の判断だったのだが。
「暗殺には失敗し、挙句返り討ち。しかも、情けで見逃される。こんな男、殺し屋だなんて胸張って言えねえだろ……」
 あまりにも惨めだった。いっそのこと、自分で人生に幕を下ろそうか。そんな風な考えも頭をよぎった一瞬のこと。
「私は貴方が好きです!」
「な……」
 突然の告白に言葉に詰まる。
 何を言っているんだ。
 自分は男で、目の前に居るのもやっぱり男。
 でもどこか胸が高鳴っている自分が居る。
 こんな風に誰かに認められたことが今まであっただろうか――。
「あ、好きっていうのは、貴方の暗殺のファンっていうか、そういう意味であって、決して怪しい意味では……ない……はず……」
 男は過剰に顔を赤らめて言う。
 その姿に自分の中の何かがくすぐられているのを感じる。何なんだ、この気持ちは……。
「なんなんだよ、てめー」
 悪態をつきながらも頬が緩んでいるのを感じる。
 自分は誰かに認められるような仕事ができていたんだ。
 今は失敗ばかりだけど、こんな風に自分を認めてくれる人間も居るんだ。
 いつか、命を狙われた全ての人に幸せな最期を与えられるような殺し屋にもなれるかもしれない。
 そう思えた。
「馬鹿野郎が……」
 瞬は負傷した足を庇いながら立ち上がる。
「おまえ、俺のファンとか抜かしたな」
「は、はい、すいません!」
「だったらファンサービスだ」
 年上だろうが自分より背の低い男の頭を乱暴に、それでいて愛しさを込めて、掴みながら言う。
「もしも、命を狙われてるって思ったら俺に伝えろ」
 吐息もかかりそうな距離に男の顔があった。
「その時は、誰よりも早く俺がお前を殺してやるよ」

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